玄米と食育の店『玄米屋たいぞう』

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2013年3月アーカイブ

 

 木を見て、森を見て、次は何を見る?

 

 

※ 下のリンク先から、この記事を音声にて聴くことができます。

 

音声ファイル (3分50秒) 「木を見て、森を見て、次は何を見る?」 

 

 

 

意識の在り方ってのについて、古今東西よく言われていることが 「木を見て森を見ず」 というヤツです。

 

 

これってのは、物事の一部分や細部に気をとられて、全体を見失うことを指しています。

 

 

ですから、巷では「木を見て森も見る」という意識を持つことが大事だと言われているわけです。

 

 

森を見る、つまり全体を見るってのは、「俯瞰」とか「鳥瞰」といった言葉で表現されますね。

 

 

つまり、鳥になったような意識で、上から森全体を見ることをいうわけです。

 

 

でも、実際には、木と森の両方を同時に見ることは、そう簡単なことではありませんよね。

 

 

やっぱり、どちらか片方にばかり意識をとられてしまう場合が多いもんです。

 

 

別に格好つけなくても、普通はそんなもんですよ。

 

 

僕もそうです。

 

 

 

ですから、木を見て、森を見ることにばかりに囚われず、次の段階に意識を向けましょう。

 

 

木を見て、森を見て、う~ん難しいなぁ~・・・と、そこで足踏みしているのではなく、根っこに意識を向けるということです。

 

 

地中に埋まっている木の根っこ

 

 

土を掘り起こすといった、何らかの行動をしなければ見ることができない存在に意識を向けるわけです。

 

 

それによって初めて、木の全体像を見ることが出来るわけですからね。

 

 

何らかの行動をしなければ、僕達は本当に木を見ているとは言えないわけです。

 

 

そして、そこで安心するのではなく、もう一つ次の段階に意識を向けることが大事となります。

 

 

それは見えないものを見るということです。

 

 

土を掘り起こしても見えないもの。

 

 

つまり木の本質です。

 

 

木の断面がどうなっているのか?とか、木を構成している物質は何なのか?とか、色々と挙げられるでしょうが、

 

 

木そのものの本質を見出そうとする意識を持つということが大事となるわけですね。

 

 

 

・・・そして、さらに、もう一つ大事な視点があります。

 

 

 

それがナンなのか?

 

 

 

あなたはお分かりですか?

 

 

 

・・・・それは「本当に見えないもの」です。

 

 

関係性といっても良いでしょう。

 

 

今の流行でいえば、つながりともいえますね。

 

 

木も森も、生物である以上、なんらかの行動をしているということについては、あなたもご存知ですよね?

 

 

例えば、木も呼吸をしているわけです。

 

 

でも、その呼吸の様子ってのは、僕達はその目で見ることはできませんよね?

 

 

鳥の眼でも、虫の眼でも、その様子は見えないと思います。

 

 

空気ってのは、僕達の肉眼で見ることは難しいわけですが、しかし実際に森の木たちは、呼吸をしながら空気中の様々な見えない物質を取り込み、交換し合っています。

 

 

空気だけでなく、光なんかも挙げられますよね。

 

 

光のエネルギーを、木は光合成によって自身に取り込みながら、その存在を維持しているわけです。

 

 

様々な物質、エネルギーの循環によって、木はその存在を成しているのであって、そういった様々な見えない存在が無ければ、木の存在も、森の存在も、決してありえません。

 

 

見えない存在に意識を向けることができてこそ、僕達は初めて「木を見て森を見る」ということが言えるわけです。

 

 

つまり、見えないものを認識することができてこそ、ようやく全体を見ることが出来るようになるということですね。

 

 

 

 

・・・・僕達が真の健康を見出すための意識の変革と、全てを理解するためのスタートを切るためには、そういった意識をもって、心の視点を向上させることがまずは大事となるのです。

 

 

 

『見えないものが在ればこそ、存在することが出来ている』

 

 

 

 「健康を求める人」は「不健康な人」なんです

 

 

※ 下のリンク先から、この記事を音声にて聴くことができます。 

 

   音声ファイル (12分40秒)  玄米屋たいぞうの想い84

 

 

 

 

え~、今の世の中、やたらと健康に気を遣っている人は少なくありません。

 

 

そうやって健康に気を遣って、健康を求めている人ってのはですねー、

 

 

じつは「自ら不健康に陥ってしまっている人」です。

 

 

 

そんな風に言われると、カチンとくるかもしれませんが、

 

 

・・・ですが、この事実を謙虚に受け容れることが出来るか?否か?によって、

 

 

あなたが真の健康を見出すことが出来るか?否か?が決まります。

 

 

 

ムカッときたかもしれませんが、ここをグッと堪えて、ぜひ最後までお読み下さい。

 

 

 

健康を求める人や、健康に気を遣うような人は、自分が今に感じていることを

 

「健康ではない」と思っているからこそ、健康を求めているわけなんですが、

  

 

それってのはですね、じつは自分の心に「欠落意識」ってのが在るからこそ、

 

何かと健康を求めてしまうことになっているんですね。

 

 

なお、「欠落意識」とは「被害者意識」とも言い換えられます。

 

 

 

 

今の自分が感じていることに不安を抱え、何かと健康に気を遣ってしまうような人は、

 

ハッキリいって不健康な人なのです。

 

 

だって不安に怯えてしまってるんですから。

 

 

今の自分や、自分の見ている現象に

 

「安心」「喜び」を見出すことができていないわけですから。

 

 

健康を求めている時点で、自らで自らを不健康に貶めてしまっているというわけですね。

 

 

 

僕もですねー、自分で自分を不健康に貶めていたということを、

 

昨年の暮れになって、ようやく気づくことができました。

 

 

その時の心境を今年の始めに、玄米屋たいぞうの想いシリーズとして書いています。

 

玄米屋たいぞうの想い81 ( 2013年始まりの想い )

 

 

 

やたらと周りの人達の健康に気を遣う人や、健康オタクの人なども、同様に不健康な人です。

 

 

他者に向けて「健康が大事だ」とかナンとか主張するような人は、

 

自分が不健康に陥ってしまっているということを、しっかりと認識した方が良いですね。

 

 

 

 

 

・・・え~、のっけからずいぶんと挑発的なコトを書きましたが、

 

僕はあなたが健康を求めることが「不健康」だとか、「悪いこと」だとか、

 

そういうことを言っているワケではありませんので、どうか誤解の無いようお許しください。

 

 

 

ただ、あなたが本当に健康でありたい、自分や大切な人の健康を創造したい

 

そう願うのであれば、

 

 

それが自分であるにしろ、他人であるにしろ、

 

気を遣うのではなく、氣を配ることが大事だということを、僕は伝えたいんですね。

 

 

 

そして、健康とは求めるものではなく、見出すべきものです。

 

 

自分の中に、他者の中に、そして、あらゆる存在の中に、

健康を見出すことができる人こそが、真に健康な人だといえるのです。

 

 

 

「足るを知るものは富む」 という諺が示す通り、 今が健康で在ることを知る人や、

 

今に健康を見出すことが出来る人こそが、ほんとうの健康を創造することができるんですね。

 

 

 

今に健康を見出せない人は、代わりに不健康を見出します。

 

 

自らに欠落意識や被害者意識があるために、 自分や他者や、あらゆる存在の中に

 

「不健康」を見出してしまい、あれこれと健康に気を遣いながらも、

 

自ら不健康を創造し続けてしまうのです。

 

 

そして残念ながら、そんな自分自身の在り様に気づくこともできないんですね。

 

 

 

真に健康な人ってのは、健康に気など遣いませんし、気を遣う必要もありません。

 

 

真に健康な人は、その健康な心と身体をもって、周囲に対して無意識に「氣」を配っています。

 

 

 

・・それってのは、例えば赤ちゃんの存在なんかが分かりやすいですね。

 

 

赤ちゃんは、ただ存在しているだけで、周りの人達に微笑みや活力を感じさせてくれます。

 

 

なぜなら、赤ちゃんという存在は、わざわざ意識などせずとも人を感動させる「氣」を

 

周りに配っているからです。

 

 

赤ちゃんは放っておけばすぐに死んでしまうような弱い存在ですが、

 

そのことに対して不健康だと思うような人はそうは居ないですよね?

 

 

つまり、客観的に肉体環境がどれほど不自由な状況にあったとしても、

 

他者に対して活力を感じさせるような「氣」を配ることができる人は、健康であるというわけです。

 

 

意識などせずとも、自然と健康を創造することができるんです。

 

 

自然と他者がほっとかないんですよ。

 

 

 

赤ちゃんってのは、欠落意識や被害者意識など持ってはおりませんので、

 

それってのは当然のことなんですね。

 

 

赤ちゃんに限らず、子供なんかも、ただ存在するだけで

 

活力や元気を感じさせてくれるような健康な存在です。

 

 

・・・まぁ、子供だけでなく、本当はあらゆる全ての存在が健康な存在なんですけどね。

 

 

 

不健康な人ってのは、欠落意識や被害者意識に囚われているがために、

 

自ら不健康へと陥ったり、自他に対して不健康を見出してしまっている、

 

というだけのことなんです。

 

 

 

この話について、なかなか納得できない方も居られるとは思いますが、

 

「健康」というものは意識一つでガラリと変わりますから。

 

 

まぁ、その意識の変革ってのが、そう簡単なことではないからこそ、

 

巷では不健康な健康ブームが拡大し続けているんでしょうケドね。

 

 

 

例えばですよ、小学生の子供が健康に気をつけている姿をみて、

 

あなたはそれを素晴らしいと思いますか?

 

 

成長真っ盛りのエネルギーに溢れる子供や若者が、健康に気を遣うなんてことは、

 

僕に言わせれば可笑しい話です。

 

 

まだ小学生くらいの子どもが、健康に気を遣っている様子を見ていると、

 

どれだけ不健康なセルフイメージを抱いてしまっているのか?

 

 

自分や他者や社会に対してどれだけ不安を抱えてしまっているのか?

 

 

僕は多少ながらも気の毒になってしまいます。

 

 

活力溢れる子供が、自分の未来に不健康や不安を見出してしまい、

 

健康に気を遣っているなんてことは、まったくもってナンセンスなことですから。

 

 

それってのは周りの人達や、社会の情報に大きな影響を受けてしまっているからなんですね。

 

 

不安や不健康に陥っている大人達に、感化されてしまっているからこそ、

 

子供までもが不安や不健康を見出してしまうワケです。

 

 

子どもの頃から不健康なセルフイメージをもってしまうということは、

 

イコール欠落意識を抱いてしまうということです。

 

 

今の自分では駄目だとか、今のままでは足りていないという、

 

被害者意識や消費者意識に囚われてしまっているということです。

 

 

そういう子供は、大人になっても、被害者意識や消費者意識に囚われながら、

 

そうした意識があるがために、他人に対しても何かしらの欠落感を見出してしまうんですね。

 

 

そして、他者に対して「可哀想」などと決め付けたりして、他人を不健康に貶めてしまうんです。

 

 

それが自分の子どもであれば、世代を通じて不健康の連鎖を果たし続けることになるでしょう。

 

 

ですから、他人に対して不健康を見出してしまうような人は、

 

まずは自分自身が不健康になってしまっていることを知るべきなのです。

 

 

そして、他人の健康を求めるのであれば、自分が勝手に不安になっているだけ

 

ということを理解し、自分の中に真の健康を見出す必要があるのです。

 

 

 

自分の不安を、社会や他人の生(せい)にしてしまっている様では、

 

不健康の連鎖から逃れることは出来ません。

 

 

刹那の安心を得ることは出来るでしょうが、

 

しかし自分の中の根本的な欠落感を解消しない限りは、いつまで経っても、

 

次から次へと自他ともに、不健康を想像し続けてしまうんですよ。

 

 

 

余談ですが、先日、鯖江市の食育推進会議に委員として出席した際に、

 

親子向けの食育イベントのスローガンとして「朝ごはんを食べよう」とか

 

「健康に気をつけよう」といったような提案が、他の委員の方から出されました。

 

 

いくら健康や朝ごはんの習慣を大事にして欲しいとはいえ、

 

児童に対してそんなスローガンを掲げたら、鯖江市民は一体どれだけ不健康なんだ?

 

・・・って感じですよね(笑)

 

 

ですから僕は「鯖江の健康 笑顔で朝ごはん」というスローガンを提案したところ、

 

満場一致で受け入れられました。

 

 

別に自慢ではありませんが、ちょっぴり嬉しかったですね(笑)

 

 

 

 

・・・え~、脱線した話を元に戻しまして(笑)

 

不健康な人ってのはですね、 自分の不安を、他人に対して

 

何らかのカタチで押し付けてしまうんですね。

 

 

そして、それによって他人もが不安になってしまいます。

 

 

以前に書いた記事

 

 (久しぶりに怒りました。「治らない病気」って言葉に対して。) の中にある

 

『マイナスの人は他人をマイナスにもする』  ってのは、そのことを指しているわけです。

 

 

 

不安なる意識に囚われている人は、その自分の不安なる感情の同調や共感を

 

他人にも求めてしまうんですね。

 

 

それってのは無意識の行為です。

 

 

つまり自然の行為ですので、その人に決して悪気はありません。

 

 

 

ただ、風邪をひいている人に、好き好んでくっつこうとする人はあまり居ませんよね?

 

 

ですからプラスの人ってのは、マイナスの人といると

 

自分もがマイナスになっちゃいますので、マイナスの人を避けるんですよねー。

 

 

 

・・・で、マイナスの人ってのは、何かと気を遣いながら、

 

それによって生じた欠落感を埋めるために、健康を求めます。

 

 

 

つまり食や薬や医療などといった物質の消費や依存を求めます。

 

 

 

それらの消費や依存によって、刹那の満足は得られますが、

 

根本的な意識が不健康を見出してしまうために、また余計な気を遣ってしまいます。

 

 

それによって再び欠落意識に見舞われてしまうわけです。

 

 

 

根本的な意識に不健康を見出してしまっている人は、

 

消費や依存にしか自分の満足を見出せないんです。

 

 

欠落意識に際悩まされているために、氣を配ることができないんですね。

 

 

病気の人で、周囲の人達を元気にさせるような人は、あんまり居ないですよね?

 

 

 

自分や他人の健康を信じることができないために、人の健康を見出すことも、

 

それを伝えることもできないわけです。

 

 

 

真に健康な人ってのはですねー、如何なる時も健康を見出していますので、

 

周りに健康なる氣を配ることができます。

 

 

そうした人は健康な氣を配っているからこそ、益々健康になり、

 

健康で在り続けることが出来るわけです。

 

 

ですから、もし健康を求めるのであれば、気を配ることのできる自分へと成長することが

 

何より大事となります。

 

 

大体、気を遣うのは余計なお世話にもなりかねませんからね。

 

 

 

では、どうすれば「氣」を周りに配ることができるような人に成長できるのでしょうか?

 

 

 

そのためには先ずは欠落意識や被害者意識を理解し、

 

それを解消することが必須となります。

 

 

 

そして「不安」や「不快」を、他の何かのせいにしてきた自分の生を、

 

100%自分のせいとして取り戻すことによって、真の健康創造の道が拓き始めるのです。

 

 

 

玄米屋たいぞうの想い83 (玄米を我慢して食べる人へに戻る

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失敗成就の王道

 

 

 

※ 下のリンク先から、この記事を音声ファイルにて聴くことができます。

失敗成就の王道

 

 

 

このところ、僕のFBのタイムラインに

 

「100%自分の責任」 とか 「誰かのせいをやめると人生が好転する」

 

などといった文句をやたらと見かけますが、

 

 

 

 

・・・ハイ、まったくもってその通りです(笑)

 

 

まったくもってその通りなのですが、

 

 

 

・・・ただ、まぁ、分かってはいても、何か不快を感じた際には、自分でも気づかないまま無意識に、誰かや何かのせいにして自分の責任を逃れようとしてしまうことが少なくないんですよねー。

 

 

 

なんせ、そっちの方がラクですからね。

 

 

 

・・・でも、やっぱり自分の不快ってのを誰かや何かのせいにしてしまうと、その時の自分の「人生」の輝きは、その分だけ消え失せることになってしまいます。

 

 

 

ですから、自分の不快を何かのせいにしてしまっている際には、それを自分自身できちんと理解することが出来るようになると良いと思いますね。

 

 

 

僕はこれまでホントにあれこれと、自分の不快を人のせいにしてしまっていた愚か者でしたので、 これを読んでいるあなたには、ぜひ僕のような失敗に陥ることがないことを、心より願っています。キリッ

 

 

 

 

・・・以前、「太極の理の下では、みんな成功者」という記事を書いたこともありますが、そもそも僕は、ホントにどんな人であっても、誰であっても、皆が成功者だという風に理解しています。

 

(ちなみに玄米屋的思想においては、「成功」ってのは「健康」と言い換えることができますね)

 

 

 

だいたい成功や健康なんてものは、自分が判断するにしろ、他者から判断されるにしろ、その価値は人それぞれにバラバラですよ。

 

 

 

何が成功(健康)で、どうあれば成功(健康)なのか?

 

 

 

そんなことは本当のところは、誰にも決められないワケです。

 

 

 

誰にも決められないのであれば、最初っから全部成功にすればイイんですよ(笑)

 

 

 

そっちの方がよっぽど思いやりがあるでしょう?

 

 

 

成功(健康)なんてものは、人それぞれ本当に様々なカタチがありますので、誰しもに共通するようなことを見つけるのは難しいモンです。

 

 

 

 

・・・・しかしですねー、「失敗」ってヤツについては、誰しもに共通している絶対的なモノゴトがあると僕は考えています。

 

 

 

それってのはナンなのか?

 

 

 

あなたはお分かりですか?

 

 

 

 

・・・人に「失敗」という結果が生じる際に、必ず共通していること

 

 

 

それは「自分の不快を何かのせいにしてしまうこと」です。

 

 

 

自分の生を、何かや誰かの生にしてしまうこと。

 

 

 

・・・人はそうした行為によって、自分の人生を失ってしまうんですねー

 

 

 

大なり小なり、自分の人生を失い、不健康(失敗)に陥ってしまうというワケです。

 

 

 

ただ、逆に言えば、どんなに不快を味わっても、それを自分の生とすることが出来るのならば、その人は健全なる成功者で在り続けることが出来ている・・・

 

 

 

 

僕はそう思いますね。

 

 

 

 

ガン検診と半分の法則

 

 

※ 下のリンク先から、この記事を音声にて聴くことができます。 

  音声ファイル(6分8秒) 「がん検診と半分の法則」

 

 

先ほど何日か前の新聞を読んでおりましたら、 これまでガンの手術を4回受けたという、有名ジャーナリストのT越さんの講演の記事を目にしました。

 

 

その講演の中で、T越さんは 「身体は痛みで問題を知らせるが、早期のがんは痛まない」 と話しながら、聴講者たちに定期的にがんの検診を受けるように呼びかけたそうです。

 

 

身体の異変を感じても、都合の良い方に考えていたというT越さん。

 

 

T越さんは戦場の取材の際にも弾に当たらず、地雷も踏まなかった自分が、まさかガンになるとは思いもしなかったそうです。

 

(・・・まぁ、そういう人だからこそ、今を元気に生きているのでしょうケド)

 

 

また、検査の内容や手術の選択について、自身の体験を交えてユーモアたっぷりに紹介しながら、

 

「ガンになった後は、自分の身体や健康に気をつけるようになり、おかげで元気になった。」

 

と話しながら、会場に集まった250人を楽しませたとのこと。

 

 

 

それってのは「一病息災」というヤツでして、以前に玄米屋たいぞう便りの中でも紹介したことがありますね。

 

玄米屋たいぞう便り19号 「無病息災、一病息災」

 

 

 

要は苦しみの根源である肉体環境に気を配ることによって、元気を見出すことになるということです。

 

 

ところで、この「ガン検診を受けましょう」という呼びかけですが、 以前の僕はですねー、こうした主張については否定的ないし批判的に捉えていました。

 

 

なぜなら、ガン検診を受けることによってガンというレッテルを貼られ、人が病気にされてしまうと言えなくもないワケですし、

 

ガンという病気のレッテルが社会的に広く認知されることで、実際にガンという「病気」となってしまう人が増えているからです。

 

 

それはガンだけでなく、過去に僕に貼られたレッテルであるC型肝炎や、B型肝炎なども同様でしょう。

 

 

そもそも誰であっても毎日ガン細胞は生じていますし、ミクロレベルのガンも常に生じているとのこと。

 

 

免疫や自然治癒力に抗うカタチで生じた新生物(がん)が、ある程度の大きさになった時、 医療検査によってガンと判定された際に、医療業界の人達に「あなたはがんです」といったようにレッテルを貼られるだけのことなのです。

 

 

それが健康なのか?不健康なのか?については、本当は別のことであって、そもそも、そういうのはハッキリいって、余計なお世話だと言えなくもないのです。

 

(ちょっと言い過ぎかもしれませんが・・・・)

 

 

ガンだと判定されることによって、社会活動を不自由にされることもありますし、自ら不自由へと陥ってしまう人も少なくありません。

 

 

また、多くの人達がガン検診を受けることによって、この社会で必要とされる社会福祉費用は増加する一方になります。

 

 

保険などによって必要な治療費を都合できる人もいるでしょうが、その支払い費用を捻出するために、保険会社はさらなる人の不安や恐れを煽りながら、人の安心のためとして保険商品を販売します。

 

 

その経済活動における虚構の安心こそが、人の自立と自律を阻み、じわじわと人の健康を貶めることになり、

 

 

被害者意識や消費者意識など、ネガティブと称される意識のスパイラルに陥ってしまう人を増やすことにもなってしまう

 

 

・・・以前の僕はそのように考えていたからなんですね。

 

 

 

まだまだ書き出すとキリがありませんが、しかし、今の僕はそうした事実に対して、否定や批判をする気など全然ありません。

 

 

なぜ僕がそういった心境に至ったのか?については、また別の機会にでも話そうと思いますが、

 

 

・・・ただ、例えば僕が「ガン検診を受けましょう」とか「C型肝炎の検査を受けましょう」などと他人に対して呼びかけるようなことは、まずありえないでしょう。

 

 

ガン検診やC型肝炎の検査を受けたところで、それによって誰もが健康になるとか、幸せになるなどとは限りませんから。

 

 

そういう意味で、T越さんの主張については話半分に聞いておいた方が良いと僕は思いますね。

 

 

もちろん、僕のこの話についても半分に聞いてくれて構いませんがね。

 

 

なんせ、この世には「半分の法則」ってのがありますから。

 

 

自分にとって正しいことが、他人にとって正しくなるとは限りません。

 

 

同様に、他人にとって正しいことが、自分にとって正しくなるとは限らないワケです。

 

 

表があれば裏があるように、

 

光があれば影ができるように、

 

 

僕たちは誰しもが相対の世界に生きています。

 

 

唯一つ絶対となることといえば、これを読むことが出来ているあなたは、必ず生きているということです。

 

 

あなたの「生」

 

 

それこそが「絶対」

 

 

あなたが今、あなたの生をどのように感じているのか?

 

 

そこにこそ絶対的なるあなたの価値があるわけです。

 

 

人は必ず死ぬので、「死」も「絶対」だと主張される人もおりますが、 死とは人が便宜上創り出した概念であって、死を絶対とするならば、人は常に死んでいます。

 

 

そうした人は「死中に活在り」という意味で、「死」を絶対視しているのかもしれませんね。

 

 

ですので、僕にとっては「死」という概念は「再生」となります。

 

 

「再起(リボーン)」でもいいし、「最誕生(リバース)」でもいいでしょう。

 

 

僕の生も、あなたの生も、常なる再生の中にある。

 

 

その認識を無意識にまで落とし込むことさえできれば、あなたがいかなる状況に在ろうとも、自然と力が湧いてくるかもしれませんネ

 

 

 

・・・ナンだか最初に書こうと思っていたこととは、全然違う方向の話になってしまいましたが、まぁ、こういうのもアリでしょう(笑)

 

 

 病を得ればこそ、人に希望と価値を与えることのできるチャンスがある

 

 

お医者さんや医療施設、医療関係者っていうのは、

基本的には人の病気や怪我を治療するために存在していますよね。

 

 

彼らは「病気に苦しむ人」に対して、「病」を治療してあげることで、

病気に苦しむ人と、その関係者の人達に対して「安心」「喜び」を提供し、

 

その喜びの感情を互いに分かち合いながら、

病を無くした対価として、報酬を得ています。

 

医療従事者はそうやって自分の生活の糧を得ています。

 

 

 

ところで、昔のお医者さんなんかは、患者の病気を治療したら、

その人に「もう二度と来るな」っていう風に説教してた人も少なくなかったそうです。

 

 

病気の患者は、医者にとって生活の糧でもあるのにね(笑)

 

 

 

・・・まァ、それだけ昔のお医者さんは「慈悲の心」をもって

仕事に勤しんでいたということなんでしょう。

 

 

 

ただ、現代のお医者さんは「慈悲」というよりも、

どっちかっていうと「慈愛」ですよね。

 

 

現代の医療関係者は、とにかく人の喜びと安心のために医療行為を提供しています。

 

 

より多くの人の喜びと安心を生み出すために、様々なサービスを拡張し続けています。

 

 

 

ですから、患者に対して「二度と来るな」なんてことは、まず言いません(笑)

 

 

 

患者に対して安心と喜びを提供することこそが最大の目的ですから、

下手したら「また来てくださいね」ぐらいの意識をもってサービスを革新し続けています。

(ちょっと言い過ぎかもしれませんが)

 

 

なので、病気になった人の中には、自分でも気づかないままに、

病気であることに依存しちゃったりする場合もあるんですよねー。

 

 

 

・・・そういった人は自ら病を無くすることはできません。

 

 

 

なぜなら病気になっているからです。

 

 

 

病気に甘んじてしまっているからです。

 

 

自らを変革するところに「快」を見出そうとはしないからです。

 

 

他への変革を求めることで「快」を見出そうとしているからです。

 

 

 

 

・・・・玄米屋たいぞうの健康創造における思想の究極

 

 

それは「自ら病を無くするところ」にあります。

 

 

それについて詳しくは、【玄米屋たいぞう語録 其の五】にも書いたことがありますね。

 

 

 

でも、自ら病を無くすなんて、そんなこと出来るんでしょうか?

 

 

 

・・・ええ、できますとも。

 

 

断言します。

 

 

 

「理解」をもって自らに「快」を見出し、

それを「人の快び」として提供し続けることによって、

病そのものを無くすることができるのです。

 

 

抽象的な話で、胡散臭く思われるかもしれませんが、事実です。

 

 

 

僕は医者や医療行為を批判するつもりは全くありませんが、

人の安心や喜びのために、わざわざ病を創り出すようなパラダイム

(社会の価値観)から、脱却できる人を増やしたいと思っています。

 

 

僕は自ら医療行為に依存してしまうような人を見るのは好きじゃない。

 

 

医療へのキリのない依存を創り出している社会や、

経済成長のためにそれを拡張しようとし続けている政府の有り様は

見るに耐えない。

 

 

病気への恐れから、未来の価値を貶めてでも、

刹那の安心や喜びを求めようとするような人は、やはり尊敬し難いんですよ。

 

 

正直言って。(ゴメンなさいね)

 

 

 

 

なので僕は、未来の価値を創造するためとして、自らの恐れを自らで克服し、

それによって得られる喜びを、人に与えることができるような人を増やしたい。

 

 

自らの手で運命を切り拓き、いかなる病をも自ら克服し、

あらゆるすべてのものに打ち克つ力

 

 

そんな強さを人に分け与えることができるような人。

 

 

僕の憧れは自他ともにそこにあり、そんな人を増やしたいのです。

 

 

病気になって、他人に求めるばかりの人になってしまうのではなく、

病を得たからこそ、他人に対して何らかの価値を与えることができる人。

 

 

・・・・そんな人たちが増えるといいですね。

 

 

 

治らない病気など一つもありませんから

 

 

先ほど、カーラジオを聴いておりましたら、どこかの病院看護師のインタビューの話が流れておりました。

 

 

どうやら慢性疾患系を担当している看護師とのこと。

 

 

朝からナンだか暗い話だなァ・・・と思ってましたが、その看護師さん、最後にこんなことを言いましたよ。

 

 

「発症したら一生治らない、ずっと付き合っていかなければならない病気ですから」

 

 

 

・・・その病気ってのは、糖尿病などの生活習慣病を指しているのでしょうが、 それを聞いた途端、僕の胸の奥の方から、ムクムクと強い怒りの感情が湧いてきましたね。

 

 

 

・・・ええ、そりゃあもう、久しぶりに怒りを感じましたよ。

 

 

 

 

以前の僕は、過去のことに囚われていたこともあって、「治らない病気だ」といった医者の存在を許すことが出来ませんでした。

 

 

 

・・・でも今はそんな自分を理解しているので、医者や医療行為の否定や批判をするつもりは毛頭ありません。

 

 

しかし、やはり医療関係者が「治らない病気」などと主張するようなことに対しては、僕は未だに許すことは出来てはいないようです。

 

 

 

もちろん、その看護師さんがなぜそういったことを言ってしまうのか?

 

 

その心理については、僕は理解していますよ。

 

 

ですから、その看護師さんに対して怒りの感情を抱くようなことは、100%ありません。

 

 

繰り返しますが、以前の僕とは違って、医者や医療行為を批判するような気持ちはもうありません。

 

 

ただ、理に屈してしまい、他人や自らの可能性を貶めてしまっている人、・・・いや、人じゃないな。

 

 

理に屈してしまっている現象が許せない。

 

 

僕は理に屈してしまっている現象を見るのが好きじゃないんですよ。

 

 

 

・・・そういうことだ。

 

 

・・・嫌いなものは仕方がない。

 

 

怒りが生まれるものは仕方がない。

 

 

ただ、それだけ。

 

 

 

・・・理を解くことができずに、理に屈してしまい、己の可能性を貶めてしまう人は、他者の可能性をも貶めます。

 

 

 

様々な生活習慣病、あらゆる慢性病は、本当に一生治りませんか?

 

 

それって本当ですか?

 

 

そもそも、それって本当に病気ですか?

 

 

あなたが理に屈してしまっているからこそ、歪んでみえてしまっている現象を、自ら病気にしていませんか?

 

 

 

・・・まァ、言いだすとキリがありませんが、人を救いたいと願望する人達には、根本的なところで間違っているような人があまりに多過ぎます。

 

 

本当に人を救いたいのであれば、まずは己を救う必要がありますね。

 

 

自分自身を理解する必要があります。

 

 

 

以前も書いたことがありますが、

 

【太極の理で自分を支配(コントロール)】

 

 

マイナスの人は、自分のプラスを見出すためにマイナスの人を見つけます。

 

 

それは別に結構なことだと思いますが、マイナスの人は、他人をもマイナスにしたりもしてしまうんですね。

 

 

 

・・・でも、それを非難したところで無駄なことですし、逃れることもできません。

 

 

ですから本当に人を救いたいというのであれば、まずは自分が一人の力でプラスとなれる力を見出す必要があるんですよ。

 

 

そして、そのプラスを活かし続けるために、その力が誰しもの中に在ることを、教えてあげる必要があるわけです。

 

 

 

・・・まだまだ自分ってヤツを分かっていない人は少なくありません。

 

 

それによって同じ苦みを、世代を経ながら何度も繰り返して味わっています。

 

 

 

今日の僕のこの怒りのエネルギーは、そんな人の病を無くすために、活かしてやるといたしましょう。

 

 

 

『治らない病気にしてしまっているのはあなた自身なのです』

 

 

 


先日、ラーメン屋さんに置かれていた週刊誌を読んでおりましたところ、

 

ネットビジネス界を何かと賑わしている○○翼氏のインタビュー記事がありました。

(・・・キャプテン翼くんじゃありませんヨ


 

二十代の若さでウン千万円する高級車を何台も所有し、六本木ヒルズをはじめ、様々なところにマンションを所有し、年収は10数億とも言われている人です。


 

当然ファンも多いでしょうし、その分だけ敵というか、やっかむ人達も多いんでしょうね。

 


たかりにくる人達も絶え間ないようで、それが一番のストレスだという話が印象的でした。


 

他にも色々と面白いインタビューの内容が書かれていましたケド、 まぁ、週刊誌の記事ですし、掲載されている彼の発言がどこまで本当なのかは怪しいところです。


 

彼一流のパフォーマンスの可能性もありますしね。


 

ただ、その中で一番印象に残った話が、記者の 「ビジネスに恐怖は感じないんですか?」 という質問に対しての、○○翼氏の返事です。


 

ちょっとうろ覚えですが、たしか 「怖いですよ。だから毎晩酒を飲んで忘れるんです。」 みたいなことが書かれておりました。


 

どうやら毎晩のように何百万ものお金を消費して、パーティーを繰り広げているようです。

 


・・・で、それによって激太りしたそーです(笑)


 

自分の恐れの解消方法など、別に他にもいくらでもあるのに、彼は毎晩のパーティーでしか解消することができないと思い込んでいるのかもしれませんね。


 

自分の肉体もきちんと思いやってやればいいのにね。


 

若いから無理が効くので、それができないんでしょうねー。



 

大体ですねー、破滅的なビジネスをする人は、必ず根底に自分の死への「怖れ」を抱いてしまっています。


 

「死」というと漠然とし過ぎますので、「自己の破滅」といったほうがイイかもしれませんね。


 

アイデンティティ・クライシスとかいうヤツです。


 

自己保存ができなくなることへの怖れを抱きつつも、その怖れの感情のパワーをもって、怖れから逃れようとするんですね。


 

まぁ、ビジネスの成功のために、自らそれを選択しているわけなんでしょうケドね。


 

 

・・・でもですねー、いくら逃げようとしたところで、逃げられませんから。


 

逃げようと足掻けば足掻くほど、自ら怖れの根源に向っていきますから。


 

・・・しかし本人はそれが理解できないんですねー。


 

なぜなら、怖れに囚われているから。


 

そして、そんな風に怖れに囚われている自己を保存するためにこそ、突っ走っているワケです。


 

そんなに怖いのなら、そんな自己など捨ててしまえばイイのにね。


 

・・・とはいえ、それもできないんでしょうケド。


 

 

まぁ、彼が好き好んで走っている道ですから、僕は別にとやかくいうつもりはありませんが、それに引きずられるようにしてついていく人達が、気の毒といえば、まぁ少し気の毒に思いますね。

(以前ほどではありませんケドね)



ライブドアの堀江氏の時と同じですね。


 

彼のパワーに引きずられて株を買ったはいいけれども、後で大損こいたといって文句言ってた人は、僕の周りにも何人かいましたからね。


 

別に株だけのことを言ってるワケじゃありませんよ。


 

彼に憧れて、真似をしてしまう人達が気の毒だなぁ・・・と。


 

株だろうがナンだろうが、他人のせいにして不幸を感じてしまうであろう人達が気の毒だと、僕は多少ながら思ってしまうワケなんです。


 

それってのは僕が以前に焼肉居酒屋をやっていたころに、それを辞める理由となったことと同じですね。


 

その話のくわしい理由はこちら → 玄米屋たいぞう便り第8号 


 


何でもね、他人の真似から入ることは大事なんですケド、その前にもう一つ大事なことがあるんですよねー。


 

・・・それは、真似をしようとする対象の人が「怖れ」に囚われているか? それとも「憧れ」に向っているのか? ということです。


 

あなたが自分の成功のために他人の真似をするときは、まずはそれを見極めることが何より大事だと僕は考えますね。


 


憧れの人がいるってことは、とても素敵なことですよ。



他人に憧れるってのは、自分の欠乏感を埋めるためとして生じている感情だといえるんですが、それはとても自然で健全な欲望だと僕は思います。


 

僕の場合はですねー、本当に長い間、他人に憧れるということが出来ませんでした。


 

ほんと、おバカですよね~(笑)



 

ただね、憧れの対象である人が、自分の欠乏感を埋めるところに「喜び」を見出すばかりでなく、欠乏感に「怖れ」を感じながら行動していたならば、 その人は「自己の怖れに囚われている」といえます。


 

もちろん、憧れや怖れという感情は、どちらか一方しか生じないというわけではありませんので、 どちらの方がより根源的であるか? または、バランスが偏っているか? ということですね。



自己の怖れに囚われてしまっている人は、自分の弱さと向き合うことが出来ません。


 

自分の弱さを見つめることが出来ないんです。


 

自分を思いやることが出来ないんですね。



自分の弱さを思いやることができない人は、他人の弱さを思いやることもできません。


 

思いやるフリしかできません。


 

僕がそうだったから、よーく分かります。


 

そして、自分の弱さと向き合うことができない人は、自分の怖れから逃れるための行動しか選択することができません。


 

つまり行動の可能性を拡げることができないわけです。


 

それどころか、その人の中では、どんどんどんどん可能性が狭まっていきます。


 

・・・でも、それは傍から見ても分からない。


 

他人にはその人の心の内は分からないんですよね。


 

あなたが自分の成功のために、他人に憧れ、その真似をしようとするならば、その人の内面を理解する努力をしたほうがイイですよ。


 

そして、それは何より自分の内面を理解するということでもあります。



最初の方にも言いましたが、あなたが自分の成功のために他人に憧れるということは、あなたの中に何かしらの欠乏感が存在しています。


 

その欠乏感をどうやって満たすのか?


 

その満たし方に、あなたの成功の秘訣があるんですよ。




今や誰でも聞いたことがあるような話だとは思いますが、 人の欲求を5段階に分けて考える「マズローの欲求5段階説」というのがあります。



①生理的欲求  ~食欲、睡眠、性欲など~

②安全性欲求  ~住居、衣服、貯金など~

③社会的欲求  ~家族愛、友情、集団への所属を求めること~

④自己尊厳の欲求(自我の承認欲求) ~他人からの尊敬や評価を求めること、昇進など~

⑤自己実現欲求  ~自己の能力を最大限発揮して活動したいという欲望~



日本で暮らしていれば、①~③の欲求はそれほど問題なく満たすことができますよね。


 

「いや、そんなことない! 仕事が忙しくて睡眠時間足りないし、マイホーム欲しいし、結婚したい! だから①~③の欲求も全然満たされてないよ!」


とおっしゃる方も少なくないかも知れませんが、 それは④の自己尊厳の欲求に飢えているがゆえに、感じてしまう欲求であることが少なくありません。


 

この自己尊厳の欲求(自我の承認欲求)というヤツは、本当にやっかいな欲望でして、 その欲求を満たすために、それ以外の欲求を膨らまし続けたりもするんですよ。


 

自分では⑤の自己実現の欲求のつもりでいても、それがじつは承認欲求を満たすための欲求でしかなかったりもします。


 

自己尊厳を得るために、①~③や⑤の欲求のレベルを自ら上げちゃったりもするんですね。


 

④の承認欲求を解消することは本当に難しい。


 

でも、それを成功させていかないと、最後の欲求である自己実現の欲求を満たすための行動を選択することは出来ないんですよ。


 

現代社会、つまり資本主義社会の中で自己実現を図っていくためには、自己を無くしていく必要があります。


 

もし自己を無くすことができなければ、それは承認欲求を満たすことができないということです。


 


・・・・え~、なんだかダラダラと長くなりそうですので、尻切れトンボで申し訳ありませんが、この話はこの辺で止めておきますー。

 


 

・・・まァ、結局何が言いたかったのかと言いますと、


 

他人に憧れることは純粋で素敵な願望なんですが、

 

もし憧れのみならず、他人に対して何かしらの不安や恐怖を感じたならば、

 

それは「あなた自身の怖れであり、あなたの承認欲求を満たすことができないことへの不安である」 ということを理解できるようになると、

 

あなたの望む成功を得るために役立ちますよ


 

・・・というお話でした


 

生命力を解放する太極の理

 

 

 

先日書いた記事の中で、 理屈ではなく、理解によって、感情を開放することが大事

 

力(エネルギー)を解放することが大事 という話をしました。


 

 

感情や力ってのはですねー、「本能」「生命力」と言い換えることもできます。


 

つまり『理解』によって、本能や生命力を開放することができるということですね。


 

 

それが一体どういうことなのか?


 

できるだけ簡単に説明してみます。



 

まずは『理解』についての認識をしますと、それってのは人間の脳という臓器によって行われる「思考」の一つです。


 

ちなみに僕は「思考」も、人の「行動」だと捉えています。


 

思考の仕方によってエネルギーの消費量が変わりますから。


 

・・・ま、そこにこだわる必要は別にないんですが


 

 

 

話が横にズレましたが(笑)、その思考≒理解という行動はですねー、科学的に言うと、脳の大脳新皮質というところでコントロールされています。


 

いわゆる「新しい脳」と称されているところです。


 

あまり専門的な話は、このHPではできるだけ避けたいと思ってますので簡単にしか説明しませんが、人間の脳という臓器は、古い脳と呼ばれる大脳辺縁系(脳幹)、小脳、そして新しい脳と呼ばれる大脳新皮質とに大きく分けることができます。


 

古い脳(大脳辺縁系)というのは、ざっくりと言えば「感情」「本能」を司ってます。


 

そして、新しい脳(大脳新皮質)の方は、これまたざっくりといえば、「思考」「行動の制御」を司ってます。


 

前回の記事では、その新しい脳の思考行動の一つである『理解』によって、古い脳が司っている「感情の力」

 

 

つまり「馬鹿力」「生命力」を開放することができるという話をしたわけなんですね。


 

それがなぜかと言いますと、新しい脳というヤツは、古い脳によって生じている本能的行動(情動)を常に抑圧しているからです。


 

なぜ本能を抑圧しているのかといえば、その理由の一つには「人が社会的な生を営んでいるから」というのが挙げられます。


 

もし、人が一人で生きている存在であるならば、本能的行動を抑圧する必要などありません。

 

 

獣のように生きれば良いだけでしょう。

 


しかし、人はより確実な自己保存のためとして、脳を進化させ、新しい脳を発展させていきました。

(いちおう進化論に基づいた話です。進化論を否定した上での話も出来るんですが、ややこしくなってしまうので、それはまた別の機会にします。)


 

人類は新しい脳を発展させたことによって、古い脳による本能的行動を制御(=抑圧)し、獣とは異なる、高度かつ社会的な営みを選択することを可能としているのです。


それによって実際に人類は、より長期の自己保存を可能としてきました。


 

特に近代から現代にかけて、その可能性は飛躍的に伸び続けています。


 

ただ、人は発展させた新しい脳によって、余計な苦しみを感じてしまったり、自らの能力を貶めたりもしています。


 

なぜなら、新しい脳が本能的行動を抑圧してしまっているからです。

 

 

そして、それを自分で理解することができないところに、苦しみを感じてしまうというわけですね。


 

ですから、それを理解することさえできれば、本能的行動の抑圧を解放することができますので、苦しまずに済むようにもなります。


 

・・・その『抑圧の苦しみの理解』について、一番手っ取り早いのは「自分では理解することができないということを理解すること」ですね。


 

矛盾しているようですが、それは事実です。

 

 

自分では自分を理解することができないという理解があって初めて、自分の苦しみを無くすための行動を選択できるようになるのです。


 

つまり、その理解によって「他者を理解する」という行動を選択できるようになるわけです。


 

 

・・・例えば、自分の肉体を理解するために、自分の肉体を解剖するわけにはいきませんよね?


 

他人の肉体を解剖しなければ、自分の肉体の理解にはつながらないわけです。

 

 

 

まァ、ちょっと例えがヘンですケド(笑)、自分を理解し、自分の馬鹿力、その生命力を解放するためには、他の人、他の存在を理解する必要があるということなのです。

 

 

それはすなわち他の人、他の存在を愛することであり、それらの生命力を解放するということでもあります。



それによって初めて、自分の命もが輝くことになるわけです。

 

 

つまり「健康を創造できる」ということです。 

 

 

  

 

僕たちが農薬や化学肥料を使わずに米作りを手掛けている理由の一つは、そこにあるんですよね

 

 

  

 

『己の健康を求めるならば、他の命を輝かせることが大事です』

 

 

 

 

 美しい言葉に氣をつけます

 

 

 

 

先日、「理屈をバカにするような人はバカだ」という話を書きました。

 

 

前々回記事はこちら

 

 


「あまり美しくない言葉を使ってしまったなァ」・・・と反省しております店主です。

 

 

 

 

僕が人をバカにしているわけではないことは、文脈からお分かりいただけると思いますが、

(そうあることを願ってます)

 

ただ、言葉の使い方に不快を感じてしまう人は、決して少なくはないですよね。


 

 

まだまだ表現の仕方が未熟で申し訳ありません




 

 

・・・その先日の話の補足になりますが、

 

 

例えばですねー、


 

子供ってのは無邪気なモンでして、その元気や感情表現はハンパじゃないですよね?

 

 

放っておけば、怖いもの知らずで色んなことに手を出すし、自由奔放に遊びを見つけます。


 

でも、怖いもの知らずであるために、危険なことに手や足を出してしまうこともあります。


 

ですから普通の大人であれば、何らかのカタチで子どもの行動に制限をかけますよね。


 

それによって子供は危険なことに自ら足を踏み入れるようなことはなくなるわけです。


 

ただ、中には駄目だって言ってるのに、危険なところに行っちゃう子供もいますよね。


 

・・・それがバカだって言ってるわけではないんですよ。


 

危険だから駄目だって言ってるのに、そうやって心配している大人を思いやることができずに、どうしても危険なところに行かないと気が済まないのは一体なぜなのか?


 

そんな自分を理解しようとしないことがバカだって言ってるんです。





 

・・・そして、本当は行きたいのに、危険だから駄目だという大人の理屈に従い続ける子供がいます。

 

 

そんな子供の中には、大人になっても昔言われた理に屈してしまい、自分の感情をいつまでも押し殺してしまっている人もいます。

 

 

僕はそれがバカだといってるわけではないんです。



 

自らで過去の「理」に屈して、自らで感情を押し殺しているにも関わらず、そんな自分を『理解』しようとせずに、いちいち理屈に不快を感じてしまうからバカだといったわけです。


 

・・・皆それを『理解』することのできる力を持っているにも関わらず。

 

 

それってのは、今は「子供の遊び」を例に挙げましたが、「食」でも何でもあらゆることに通用する事実だと思っています。

 


 

肉を食べてはいけないだとかいう人や、そんな言葉にいちいち反発する人



タバコは体に良くないから駄目だという人や、タバコをやめられないことに自己嫌悪に陥る人

 

 

 

あらゆる否定や反発の心は『理解』によって解放することができるのです。

 

 

 

 

あのマザーテレサもこう言ったそうです。

 

 

 

【私たちの周りの人々を理解するように懸命に努力を尽くすべきです。そして、ともに住む人々をより理解するために、自分自身をまず理解することがどうしても欠かせないのです。】

 

 

【愛されることより、愛することを。理解されることより、理解することを大切にしなさい。】

 

 

 

 

・・・まあ、でも、やはりバカという表現は美しくはないです

 

 


この反省を次につなげて生きたいと思います


 

 

知っておくと得する免疫機能の秘密

 

 


前回記事に書いた「馬鹿力を解放する理」の一つとしまして、

 

 

 

今回は【免疫機能】における簡単な「理」をご紹介したいと思います。



 

 


・・・あらゆる生命体には「免疫」という機能が存在しています。


 

 

それは生命の本質である自己保存のために、


 

細菌のような単細胞生物にも備わっている、生命体にとって普遍的ともいえる機能です。


 


人間の肉体にも当然、高度な免疫機能システムが存在しています。



 

その機能について、特別に詳しく知る必要はないかもしれませんが、


 

ただ、あなたの肉体の免疫機能を活かすために、理解しておいた方が良い「理」として



人の免疫機能には大きく分けて「自然免疫」と「適応免疫」の二つが存在する


 

ということが挙げられます。

 

 

 


ヒトの脳が、古い脳(大脳辺縁系や小脳)と新しい脳(大脳新皮質)に分けられるように、

 

 

免疫システムにも、原始的な免疫機能(自然免疫)と新しい免疫機能(適応免疫) が在るんですね。



 


原始的な免疫機能とは、腸管や皮膚、肝臓、外分泌腺、子宮周りなどの細胞組織によって生じている働きです。


 

そして、進化によって新しく上乗せされた免疫機能の方は、胸腺やリンパ節、脾臓などの組織によって発揮されます。



 

 

新しい免疫機能「適応免疫」は、『外界からの異物に対する防御機能』が強化されているのが特徴ですが、


 

原始的な免疫機能「自然免疫」は、『自己の異常を察知する働き』が強化されているところに特徴があります。


 

 


ヒトの肉体では、年齢が若いうちは、新しい免疫機能の方が概ね優位に働くのですが、加齢と共に原始的な免疫機能の優位性が高まっていきます。


 

 

それは生体の成長とライフサイクルについて考察すると、極めて当然なシフトであり、自然な出来事だといえるでしょう。



 

 

原始的な免疫機能「自然免疫」は、まさに”馬鹿力”です。


 

 

自然免疫とは、単細胞生物から昆虫や植物、爬虫類、鳥類、哺乳類まで、ありとあらゆる生命体にとって基幹的といえる機能なのです。


 

 

この馬鹿力が最大限に活かされるような方向に、自らの意識を向けることはとても大切なことです。


 

 

もちろん、わざわざ意識せずとも、肉体においては加齢に伴って、原始的な免疫機能が優位になるように自然と変化していくのですが、


 

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・・・ですが、もしあなたが免疫機能を高めるためとして、「獲得免疫」の機能ばかりに意識を向けていたならば、


 

適応免疫に強化された能力である「異物への防御反応」は向上するかもしれませんが、その代償として自然免疫の能力が退化していくことが考えられます。


 

 

退化までせずとも、その力を活かすことはできないでしょう。

 

 

 


免疫と聞くと、「外界からの異物を排除する」という働きばかりを意識する人も少なくありませんが、


 

肉体が未熟で、外界に対して不安定な状態であるならばともかく、


 

肉体が成熟しているにも関わらず、外界からの異物の排除ばかりに意識を向けているようであれば、その心は未熟といわざるをえません。


 

 

それは自然の流れに逆らう意識であるかもしれません。

 

 

 

 

 

肉体の成熟を迎えたならば、自己と非自己の分別を察知する能力、つまり自然免疫の高度な機能にこそ、意識を向けたほうが良いのです。


 

 

 

人は意識を向けた方に、力(エネルギー)が向います。


 

 

それはオカルトでも何でもなく、れっきとした科学であり、事実です。


 

 

あなたの意識をどこに向けるのか?


 

 

意識を向けるべく対象を、より理解した上で「選択」することが大切なのです。


  

馬鹿力を活かすも殺すも、あなたの「理解」があればこそです。

 

  

馬鹿力を解放する理

 

 


僕はですねー



子供の頃から「屁理屈ばかり言うヤツ」だといって、



周りの大人から怒られたり、呆れられた記憶が結構あります




よほど生意気なガキだったんでしょうねー(笑)




 

世の中には、屁理屈だけでなく、理屈っぽい人をバカにする人も少なくありません。





しかしですねー



ハッキリいって、理屈をバカにするような人のほーが、バカですから。




勝手にバカになってますから



 


まぁ、もちろん、屁理屈や理屈で他人を縛りつけようとするのもバカですケド、



 

理屈に「不快」を感じてしまう人は、「理」に屈してしまっているバカです。





「屈する」っていう言葉の意味は



【何かをしようとする意欲・気力がなくなる。くじける。勢いをくじいて従わせる。服従させる。】



こんな感じですね。


 


つまり、理屈に不快を感じる人は、理屈によって、自分の感情の抑圧を感じちゃうワケです。



 

簡単にいえば、ムカついちゃうんですわ。




まぁ、そういった人は、普段から「理」の使い方を間違っちゃってるんですよね。




だからバカです。



僕もバカでした(笑)




馬や鹿などの獣は、「理」が分かりません。


 

何度でも言いますけど、「理」の使い方を間違っているくせに、人をバカにする人は、バカなんですよ。


 


「理」というヤツは、「屈する」ためよりも、「解く」ために使った方が有益です。


 


「理」は感情を解放するためにこそあるのです。



 

「理」は力(エネルギー)を解き放つためにあるわけです。


 



・・・ちなみに『気』という現代漢字は、中に「〆る」という文字が入っちゃってるんですよね。


 

つまり閉めちゃってるんですよ。



エネルギーを閉じちゃってるんです。




でも、昔は『気』ではなくて、『氣』と書きました。



中に「米」という文字が入ってたんですが、



実はこれには「四方八方に広がる」といった意味が隠されています。



 

『氣』(エネルギー)ってヤツは「解放」してやってナンボですよ。




 


・・・人類は、これまでずっと「理解」によって、その可能性を拓いてきました。




他人の理屈に不快を感じ、それをバカにする人は、同時に自分の中にある「理」をもバカにしています。



つまり、自分で自分をバカにしてしまっています。



自分の中にある神性を、自ら貶めてしまっているから、自分を解放することができないんですね。



 

自らの可能性を自らで貶めてしまっているんです。


 


昔から「人をバカにするほうがバカだ」っていいますよね?




・・・僕は他人様をバカにはしていませんよ。



 

僕は他人様の中に在る「理」、その神性を理解しています。



もし、僕がバカバカ言ってることに対して、あなたが不快を感じたのであれば、それはあなたが自らで「理」に屈してしまっているだけです。



 

その際に、「理」をバカにするようであれば、いつまで経っても「理解」はできません。



 

『馬鹿力』を解放するための「理」を手に入れることはできません。


 

 

あなたの中に眠っている馬鹿力を解放するための「理」を見出すことはできません。


 


・・・繰り返しますが、これまでずっと人類は「理解」によってその可能性を切り拓いてきました。



 

その事実を謙虚に受け入れることで、

 

 

あなたの可能性はどんどん拡がっていきます

 

 

 


意識レベルをみるみる向上させる玄米屋の思想書

【 太極の理 ~Source of the universe~ 】

 

 

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ネット上で面白い画像を見つけたので、このHPでもシェアしてみます

 


 3年前のことなので、すでにご存知の方も多いかもしれませんケドね

 

 

 

以下の「般若心経 現代語訳」は、2010年9月にニコニコ動画に投稿された

『般若心経ロック』へのコメントとして、匿名ユーザーによって書き込まれたものだそうです。

 

 

 

 

 

現代版 般若心経

 

 

 

 

・・・・どうですか?


 

とても素敵じゃないですか?

 

 

最後の「心配すんな。大丈夫だ。」には、僕もとても共感できますね~

 

 

 

 

・・・ただ、まぁ、僕的には 「心配はしてない。大丈夫だ」 って感じでしょうか

  

 

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★ 般若心経 新訳

 

 

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?

 

誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。

 

もっと力を抜いて楽になるんだ。

 

苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

 

この世は空しいモンだ、 痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。

 

 

この世は変わり行くモンだ、苦を楽に変える事だって出来る。

 

汚れることもありゃ背負い込む事だってある。

 

だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

 

 

この世がどれだけいい加減か分ったか?

 

苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

 

見えてるものにこだわるな。

 

聞こえるものにしがみつくな。

 

味や香りなんて人それぞれだろ?

 

何のアテにもなりゃしない。

 

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。

 

それが『無』ってやつさ。

 

 

生きてりゃ色々あるさ。

 

辛いモノを見ないようにするのは難しい。

 

でも、そんなもんその場に置いていけよ。

 

 

先の事は誰にも見えねぇ。

 

無理して照らそうとしなくていいのさ。

 

見えない事を愉しめばいいだろ。

 

それが生きてる実感ってヤツなんだよ。

 

 

正しく生きるのは確かに難しいかもな。

 

でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

 

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。

 

愉しんで生きる菩薩になれよ。

 

 

全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな、

 

適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

 

勘違いするなよ。

 

非情になれって言ってるんじゃねえ。

 

夢や空想や慈悲の心を忘れるな、 それができりゃ涅槃はどこにだってある。

 

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。

 

心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

 

この般若を覚えとけ。

 

短い言葉だ。

 

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。

 

苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

 

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

 

今までの前置きは全部忘れても良いぜ。

 

でも、これだけは覚えとけ。

 

気が向いたら呟いてみろ。

 

心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

 

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

 

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』

 

『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

 

 

心配すんな。

 

大丈夫だ。 

 

 

 

 般若心経

 

 

 

 

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