玄米屋たいぞうのお隣にあるお店で、非常に興味深いタイトルの本を見かけたので、お借りしてみました。
大沢博氏の著書、「食事崩壊と心の病」です。
この本の内容を大まかに説明すると、心理学者である大沢氏が、あらゆる精神疾患の原因として「食事」が強く関与しているのではないか、という仮説を立て、それらの検証をするために様々な事例を紹介していく、といった流れの内容になっています。
精神疾患には、うつなどの軽いものから、アルツハイマーや統合失調症などの重大な支障に至るものまで、様々なカタチがありますが、大沢氏は「現代食」が起因となる「低血糖症」こそが、それらの精神疾患の根本的な原因の一つではないかと睨んでいるようです。
様々な精神疾患の原因が、すべて食生活にあると決め付けるには早計ですが、精神疾患もアレルギーや糖尿病、ガンなどの現代病と同じく、様々な原因が複合的に絡み合って起こる出来事であり、その原因の重要なものとして、現代の食生活が挙げられることはまぎれもない事実だと、私も認識しています。
食べ物で心が変わる?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、大沢氏の仮説はまず間違いなく的を得ているのではないでしょうか。
ただ、この本の内容は仮説を正当化させるために、あまりに一方的な事例の紹介と考察になっているため、普通の人にとっては、やや気が滅入る内容かも知れません。
大沢氏は、砂糖やブドウ糖などの精製された糖類や、白米などの精製炭水化物を、常日頃から摂取するような食生活が諸悪の根源だと言い切り、砂糖の摂取をやめ、未精製の米を中心とした食生活にしなければならないことを提唱しています。
しかし、今の自由を尊重する気風の社会の中で、一般のさほど健康に気をつかう必要のない人々にとっては、そのような食生活に変えるということは、やはり簡単な事ではないと私は思うのです。
氏は本の中で、科学的な見地からも非常に説得力のある推察を色々と紹介しており、論理的に考えれば氏の提唱する食事、食生活のスタイルにすることが、どれほどヒトにとって良いことであるか、理解できる内容となっています。
ただ、やはり人は感情の生き物です。
どれほど論理的に正しかろうが、目の前の快楽には負けてしまうのが大抵の人々の行動パターンであり、そして自分の選んだその行動を、他者に否定されることを不愉快に感じることも、やはり大抵の人々の行動パターンでしょう。
そして、自分にとって完全にマイナスになるような事象が起きてから初めて、それまでの快楽を手放すことを受け入れるようになるのが常であり、自分にとってのマイナスを、事前に予測した上での快楽の放棄は、そう簡単なことではないのが一般的な現実の出来事なのです。
そのように言ってしまうと、元も子もないように思われるかもしれませんが、そのような現実の出来事をしっかりと認識することが、まずは大事だと私は考えています。
精製された食物は、生き物にとって本能的な快楽を得ることの出来る食べ物であり、一度その快楽を経験すると、再度その快楽を得ることを強く欲求するものです。
この欲求は、誰しもが本能として持っているものですので、仕方のない欲求といえるでしょう。
(関連した内容の記事を、玄米屋たいぞう便りに書いています。ぜひ一読してみて下さい。)
しかし、ヒトは知性や理性といったものを持つことで、その欲求を「本能を超えた欲求」に変換することが出来るのです。
様々な知識を元に、本能による欲求や、また別のカタチの欲求である「本能を超えた欲求」が、自分の中にあることを理解し、そして理性により自分や未来にとって、より良い結果を導くための行動欲求を選択することが出来る生き物であるのが、ヒトという動物です。
自身の快楽を満たすことが幸せな事だと考えている今の社会においては、自分が美味しいと感じる食事、純粋に旨いと感じる食事を、自分が食べたい時に食べたい様に摂取することに、やましい事など何も無いのが至極当然、という風潮の世の中となってきています。
しかし、そのように多数の人達が本能の赴くままに食料を摂取したり、多数の人達が本能の欲求ばかりを刺激するような食品をプロデュースしていくことが、後々の自分達にとって、そして未来の子供達や、今の地球の環境にとっても、どれ程のリスクと悪影響があるものかを、たくさんの人達にしっかりと認識してほしいと、私は思うのです。
そのような思いから、人にとってより良い未来を創り上げるための手段や気付きを少しでもたくさんの人達に提供していきたいと考え、これからも玄米屋たいぞうの経営を頑張っていきたいと、今あらためて想っています。













