現在の日本国民の平均寿命は女性が約86歳、男性が約79歳と、日本人は全世界で最も平均寿命が長い民族であります。
しかし今生きている我々がこの平均寿命まで生きる保証などは、どこにもないと私は考えています。
過去60年より統計のある平均寿命は、先進国すべてがきれいな右肩上がりのデータを示していますが、このデータはどこまで右肩上がりを続けることが出来るのでしょうか。
世界の先進国すべてにおいて平均寿命が延びている背景には、いくつかの要因が考えられます。
それらの要因とは、先進国において国民一人当たりの所得(GDP)が向上したこと、伴って医療技術の発達およびそのインフラの整備の向上、新生児の死亡率の低下、栄養状態の向上などの項目があげられます。
これらの事実により先進国での平均寿命が右肩上がりを続けているのです。
そこでこの要因を検証してみます。
”医療技術の発達” これは平均寿命の向上に最も寄与している要因といえます。
医療技術の発達が”新生児の死亡率の低下”にも貢献しているので、”医療技術の発達”の益々の向上が平均寿命の益々の向上に貢献することは疑いようもありません。
”国民一人当たりの所得の向上”により、それぞれの国民がより高度な医療サービスを受けることができたり、インフラの整備の向上に貢献したり、より良い栄養状態を保つことができます。
したがって”一人当たりの所得(GDP)の向上”も平均寿命の向上に貢献していることに疑問はないといえるでしょう。
しかし私が疑問をもつのは”栄養状態の向上”が本当に平均寿命の向上に寄与し続けるのかという点です。
今、日本で70歳、80歳、90歳、100歳の人たちの60年前の栄養状態は、けっして現在のような状態ではありませんでした。
60年前に比較的裕福だった国である欧米や西欧諸国の人々の平均寿命と、60年前にとても裕福な国とはいえなかった日本の人々の平均寿命を比べれば、栄養状態の向上がそのまま平均寿命の向上に寄与しないということがお分かりになるのではないでしょうか。
「いや、日本の食生活が諸外国と比べてそれだけ優れている証拠だ」という学者もいます。
なるほど、私達の祖先が長い間培ってきた食生活は我々日本人の身体にあったものであることには異論はありません。
しかし現在の日本の食生活が優れているようには私にはとても見えません。
欧米の自由市場主義の煽りを受けて、より美味しいもの、より旨いもの、より本能が満たされるものばかりが市場にはびこり、我々の祖先が培ってきたものは市場の片隅どころか完全に追いやられているのが実情です。
私のまったくの推測ではありますが、ここに断言します。
今の日本の長寿の人々は、飢餓の状況でも生き延びることのできる強靭な肉体、遺伝子を引き継ぎ、自身も若年のときに貧しい栄養状態であったことにより、より生物として進化した肉体を構成することに成功しました。(この場合の肉体は外見から判別するものだけでなく、内臓や体内で様々な化学反応を発生する能力をもつ肉体を指します)
そのより進化した肉体が、自身が生きていく過程において栄養状態が改善されてきたことにより長寿を全うしているということなのです。
したがって、せっかく祖先から受け継いだ遺伝子を、若年のときから過剰な栄養状態を保ったために眠らせたまま生物として退化ともいえる肉体を構成してしまった我々が、いくらより良い栄養状態を保ったところで今以上の長寿を栄養改善により手に入れることはないといえるでしょう。
それどころかさらなる栄養状態の改善(のつもり)が、ガンを筆頭としたさらなる成人病を頻発させるだけなのです。
おそらく昭和10~20年代生まれの人々までが平均寿命の向上に貢献できる限界でしょう。
現在の過剰な栄養状態というものは、我々が生きる環境の問題の一つでありますが、その他の環境問題として過剰な衛生状態というものもあります。
生まれたときから清潔すぎる環境におかれることにより、祖先から受け継いだ優秀な免疫システムが過剰に働いてしまうことで様々なアレルギーなどの病気を引き起こしてしまうことがあります。
花粉症はその最たるものの一つでしょう。
過剰な衛生環境によるアレルギーは現在、文明病として広く認知されるようになりましたが、過剰な栄養状態による病気はまだ広く認知されていません。
未だに、より良い栄養を摂ることにより改善されると考えている人々が多数を占めているのが現状です。
私は次世代により良い未来を残すために「食」をテーマに様々な角度から、より良い手段を模索し提案していくことをライフワークにしています。
その中で、今の日本の飽食といえる状況に非常に危機感を持っています。
次回、「たいぞうの想い42」にて花粉症を例にとり、今の食のあり方をどう変えていくべきなのか述べたいと思います。













