世のご年配方の中には、若者の食生活の乱れを嘆き、軽蔑する方が少なくありません。
しかし、今の子供達やこれから生まれてくる子供達が、自ら望んで今のような飽食の世の中にしたわけではないのです。
飽食の世界に導いたのは、まぎれもなく我々大人だということを、しっかりと認識しなければなりません。
私たち大人が、自分のその場の欲望を満たすものばかりを望んできたが故に、今のような「飽食日本」の姿があるのです。
今のお年寄りが若者であった頃の、約60~70年程前の日本は今とは違い、たくさんの人達がその日に食べる食べ物にすら困っていた時代であったといいます。
そのような貧しさの中で、ひたすらに勤労に勤しみ、食べ物に困ることの無いように頑張って来た、今のお年寄り達のおかげで、日本は他の国々と比べてもトップレベルの、様々な食べ物に恵まれた非常に豊かな国となりました。
しかし、これほど豊かになったというのにも関わらず、さらなる「食の欲求」を膨らまし続けている我々大人が、今の「飽食日本」を創り続けています。
多数の人間が「旨い食べ物」や「美味しい食べ物」ばかりを盲目的に追求し、そのような「商品」ばかりを支持し続けてきたことにより、今の日本には食の欲望をあおるばかりの「商品」で溢れかえるようになってしまいました。
自由市場原理により、大多数が求める「旨さを追求した食料」が市場を席巻し、ストレートな旨さでは劣るような日本の伝統食などはスミに追いやられる一方です。
「いや、伝統食だってちゃんとある!」という声もあるかもしれませんが、残念ながら、様々なうまみ調味料などを添加した「旨さを追求した食料」にすりかえられている場合がほとんどです。
また、最近では健康ブームの煽りもあり、簡単に豊富な栄養を摂取できるような食品が支持されるようになりましたが、これも「手軽さ」や「旨さ」や「美味しさ」などを追求した、人の目先の欲望をあおり続ける「商品」であるといえるでしょう。
しかし、子供達や若者は大人の背中を見て育っていくのです。
我々大人が、自分の目先の欲望ばかりを満足させるような「商品」を支持し続けている、そのような背中をみて育った子供は当然、同じように自分の目先の欲望を膨らませ、満足させることに何の疑問も持たないことでしょう。
すでに飽和している日本の食の市場において、目先の欲望を煽りつづけるような商品を支持し続けることがどれだけ危険で、どれほど愚かなことか、まず私たち大人が気付く必要があります。
個人のその場の欲望ばかりを必要以上に満たすような食料にに恵まれ、その欲望を節制できない者を待ち受けていることは「文明病」という名の自然の淘汰なのです。
伝統を守ることを放棄し、目先の欲望を重視してきたことを今こそ反省し、まず私たち大人が好き嫌いなどをなくす努力をしましょう。
苦い、酸っぱい、固いなどの雑味のある、一般に「不味い」と呼ばれるような食べ物や、先人が食してきた粗食なども「慈しむ心」を育みましょう。
そして、より良い未来へつなぐべき食のあり方を真摯に考え、改めて伝統食というものを見つめなおし、その上で現代にあった「より良い食のかたち」に共に発展させていこうではありませんか。
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