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玄米屋たいぞう便り第18号「ダイエットと自己肯定」 

 

玄米というと「ダイエットに役立つ食品」というように連想される方も少なくありません。

 

たしかに玄米ごはんを食習慣に取り入れることがダイエットに役立つ、ということは科学的ないし論理的に証明することはできます。

 

 

ただ、本当のダイエットというものを考えれば、十人十色、10人いれば10人それぞれに違ったダイエット方法論があるものです。

 

マスメディアが喧伝するようなダイエット食品やダイエット法に、全ての人達に共通した効果があると思い込むことはあまりよろしくありません。

 

それは玄米でも同じことでしょう。

 

一時的にやせるだけで良いのなら、それは現代社会では様々な健康食品やダイエット法が溢れておりますので、そうしたモノに頼るのも別に結構だとは思います。

 

ですが、よく考えていただきたいのですが、ダイエットを求める本当の目的は「痩せるため」ではないはずです。

 

そうではなく、痩せなければならない、もしくは痩せたいという願望の根元には、必ず何かしらの理由が人それぞれにあるはずです。

 

もし「今の自分が気にいらないから」とか「今の私のままでは駄目だから」などといった理由からダイエットを求めるのであれば、どれほど優れたダイエット食品やダイエット法があろうとも、それに成功し理想の自分になることは難しいかもしれません。

 

自分が痩せたい理由を認識せずに、今の自分を否定的に思いながらダイエットに励んでも、一時痩せることに成功しても、その自己否定の心は解消されないままである場合が多いからです。

 

そしてその「自己否定の心」こそが、過度のダイエットやリバウンド現象を引き起こしてしまう原因となってしまいます。

 

 

本当にダイエットを成功させたいのであれば、

 

「自分はなぜ痩せたいのか?」

 

その動機、理由を自分自身で探りましょう。

 

そして、その動機に叶った自分の姿、より良い自分の姿をイメージし、それに向かって自分の生活習慣を変えていこうとすることが本当に大事なことなのです。

 

 

太った自分や、好きになれない自分とは、実はそれまでの自分の生活習慣によって形成されてきました。

 

決して自分そのものが悪いわけではありません。

 

「自分の習慣」が自分を育んでいるのです。

 

また、自分では気づくことが出来ない習慣も数多くありますので、決して自分を否定する必要などはないというわけです。

 

しかし人という生物は自らで習慣を変えることが出来る存在です。

 

自分の習慣を客観的に省みた上で、その習慣を変えていきましょう。

 

新しい習慣こそが自分が望む「より良い自分」を育んでくれるのです。

 

仮にうまくいかなかった時があったとしても、そのより良い状態になろうとするあなたが前向きで素晴らしい存在であることは誰の目にも明らかです。

 

そうやって自分そのものを大事にする心こそが、自らの生活習慣をより良い方向に変えるために役立つ「真の原動力」となりえます。

 

その原動力はダイエットだけでなく、糖尿病などの病気の改善、そして地球規模での環境の改善、ひいてはより良い私達の社会を育むために役立つ力となる、

私はそう考えています。

 

 

あなたはそのままで素晴らしい存在です。

 

大事なことは自分の習慣を変えることなのです。

 

 

 

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玄米屋たいぞう便り第17号  

 

前回、『資本主義社会を形成してきたことにより起こり得たこと』について、食の分野において生じてきたいくつかの例を挙げました。  

 

ちなみに現代社会における現時点での『傾向』として、次の様なことも挙げられます。

 

 

・甘味食品や高カロリー食品などの消費拡大傾向。

・体にほとんど負担をかけずに楽に摂取できる食品やサプリメントなどの栄養機能性食品の消費拡大傾向。

・医療における様々な薬の開発とそれらの消費拡大傾向。

(医薬品については食の分野と別に考えるべきかもしれませんが、食と密接に関わることなのであえて挙げました)  

 

 

この様な傾向も、前回に示した例と同様に、資本主義が導く『人々により高度な「楽」を寄与するための行為の発展』によって引き起こされているのが実際のところです。

 

 

私達はこれまで長い間、経済成長のために様々な「楽」や「便利」を競争開発し、それらをお互いに寄与しあうことで自分の満足と利益を確保してきました。 

 

 

それが自分達の生活のために必要なことであったのは確かです。 

 

 

ただ、如何なる楽や便利も慣れてしまえば、さらなる楽や便利を求めてしまうのが人間の情であり、資本主義社会ではさらなる利益を生まんがために、人が楽や便利を求める行為とその求めに応えるための行為の競争を、ただひたすらに煽り続けます。  

 

自分達の生活のために、言葉を変えれば「貨幣」「満足」を生むために、さらなる楽や便利といった「物質への依存行為」をただただ正義化するような社会の中で、食の分野においてはこれから一体どのようなことが起こってしまうのでしょうか?  

 

 

 

家畜などの、より美味しい食品をもって多数の人を楽しませようとする人達は、餌として必要な穀物を栽培するために、これまで多くの熱帯雨林を焼き払い、多くの環境を破壊してきました。 

 

それにより、地球上の様々な所で急速な砂漠化が今も進んでいるそうです。 

 

 

また、より大きな快楽を寄与する食品の普及に伴ってメタボリックシンドローム、ガンなどといった現代病や、人が様々な楽な環境に置かれたことで生じたとされるアレルギーやアトピー、その他にも鬱(うつ)病などといった先進国特有の様々な病気を、私達は得ることにもなってしまいました。 

 

 

その苦しみから楽になるために、多くの人達が今度は医療に「自分の楽」を求めます。 

 

 

その楽を得るためにもお金が必要ですが、しかし病気の身では社会の中で十分な生産活動をすることはままなりませんので、大抵の場合、国などの共同体に補助を求めて自分の楽を得ようとします。 

 

 

すると現役世代や次世代の人達にその負荷が掛かってくるわけですが、その負荷を解消するため、つまりその分のお金を稼ぐために、彼らもより多くの人達に「さらなる楽」を提供していかなければなりません。 

 

ということは、つまり社会において、それぞれの個人の「さらなる楽への依存」までもが、いつまでも推進され続けてしまうというわけです。 

 

 

そして「さらなる楽」に依存し続ける私達の姿を見て育つ子供たちが、同様に「さらなる楽」に依存し続けていくことで、人や自然といった存在はこれから一体どうなっていってしまうのでしょうか?  

 

 

 

少なくとも食の分野においては、「楽」という価値をしっかりと考えて生活していくことが大事でしょう。 

 

そして先進国に生きる私達が、これからどのような社会を築いていくべきなのか? 

 

 

今まさに、私達がそうしたことを強く問われていることも間違いない事実なのではないでしょうか。

 

 

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玄米屋たいぞう便り第16号

 

 

日本は近代以降、資本主義社会を形成し、国策として自由経済を活発化させてきたことで、多くの国民が非常に進歩的かつ物質的に恵まれた生活を享受してきました。  

 

発展途上国の人達から見れば、日本や西欧諸国に住む人達などは憧れの対象であるかもしれません。  

 

なぜ、資本主義社会を採択する国は、歴史を顧みれば飛躍的ともいえるであろう発展を遂げることができたのでしょうか?  

 

 

経済活動の仕組みにおいては、労働などにより、人の欲望を叶えるモノやサービスを提供することで個人の満足や幸福感に貢献し、その対価として貨幣を得ることで、より多くの資本(貨幣ないし富)を得るという流れが挙げられます。  

 

人は貨幣を対価にして自分の欲望を叶えることで満足や幸福感を得ることが出来ますし、多くの貨幣(利益)を得ることで満足や幸福感を得ることも出来るわけです。  

 

資本家やそれぞれの個人が自分の利益や満足を最大限追求することを推奨し、個人の欲望や欲望を叶えるための手段にできるだけ制限をかけないことで全体としても、つまり国や社会としても大きな利益と発展を得ることが出来るというのが資本主義の理論であり、実際に先進諸国に起こり得た結果です。  

 

そこで考えるに、「個人の欲望や満足」とは一体何でしょうか?  

 

・・・経済学の父と呼ばれるアダム・スミスは、それが楽(ラク)という概念であることを看破していました。  

 

現代の経済システムの基礎を築いたと言われているのが、18世紀のイギリスで活躍した哲学者アダム・スミスです。  

 

 

その仕組みの中で、それぞれの個人がより多くの貨幣(利益)や自分の満足を得るために、これまでずっと人々に対して楽を提供する行為を競争し合ってきました。  

 

その結果、人々に「より高度な楽」を寄与するための物質や手段が発展してきたことで、現代の先進諸国の姿があるというわけです。  

 

 

個人の欲望の追及行為、つまり楽(ラク)や便利への依存行為に制限をかけない自由社会を築くことで、際限の無い経済的成長をも求め続ける現代社会。  

 

経済成長を錦の御旗に、人々のさらなる楽への依存行為を競争しあうことを求め続ける現代社会。  

 

 

そのような社会の中で、食の分野においては一体どのようなことが起こり得たのか?  

 

ここで少し考えてみましょう。

 

 

・ それぞれの個人がいつでも自由に様々な食料を手に入れることが出来る社会となった。

 

・ それぞれの個人の様々なニーズに応える食品が種類豊富に存在する社会になった。

 

・ より美味しい食品、柔らかく消化の良い食品、より栄養価の高い食品などが、当たり前に販売されている社会となった。

 

・ 食事をするための料理の手間など、労働の必要がない社会環境になった。

 

・ 海外の広大な土地と安価な人件費を背景とした非常に低コストの農産物や加工食品が市場の多くを占めるようになった。

 

・ 少しでも人に対して不快を与える恐れのある食品は廃棄するのが当たり前の社会となった。  

 

 

 

他にもまだまだ挙げられますが、すべてがそれぞれの個人の楽や便利、自由を追及してきた結果であることは共通しているのです。

 

 

第17号につづく

 

 

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玄米屋たいぞう便り第15号.JPG

 

 

 現在、日本人の平均寿命は男性約79歳、女性約86歳とその延びは衰えることなく、日本は世界で最も長寿を誇る国として世界にその名を轟かせています。

 

 ただし、これはあくまでも寿命が長いということだけであって、健康であるということを示しているわけではありません。 

 

 勘違いされる方も少なくないのですが、寿命の長さと健康であるかどうかについては、実は相関性はないのです。  

 

 

 それについての洞察は、また別の機会にでも書きたいと思いますが、今回は「平均寿命が延びていく中で、健康であるためにはどうあるべきか?」について私の意見を書いてみます。  

 

 

 

 日本人の寿命が世界で最も長い理由の一つとして、日本の医療機関および医療技術の発展と、その高度な医療を多くの人達が低コストで享受できる福祉体制の完備が挙げられるでしょう。 

 

 日本では何らかの病気に罹ってしまった際にも、高度な医療技術や病気の改善に効果的な薬を安価に得ることができますので、多くの人達がそれにより健康体を取り戻すことが可能となっています。 

 

 薬に頼り続けることで健康体を維持している方々が多いのも実際のところでしょう。 

 

 

 そうした中で日本の医療機関は今も世界トップレベルの発展を遂げてはいますが、あくまでも病気を克服するための医学ばかりが中心であり、病気の予防という概念においてはあまり進展がありません。  

 

 食生活などで病気を予防するという視点や予防医学は、医療機関においては未だに重要視されているとは言い難いのです。 

 

 

 

 さて、今の日本人が患う病気の半数以上が、じつは食生活に起因するものばかりであることを皆さんはご存知でしょうか? 

 

 日本人に増加した病気に限ると、そのほとんどが食生活に大きな原因があることが明らかとなっています。   

 

 

 そうした事実があるにも関らず、未だに予防医学の分野は脚光を浴びず、病気になった人にのみ対応するという、後手に回った対処法ばかりが発展しているのは何故でしょうか?  

 

 これはおそらく国民こそが「自らで病気を予防する」という概念を持っていないがために、そのような結果になっているのではないかと私は考えています。  

 

 

 自らで病気を予防しようという努力をせずに、いざ病気になってから医者に頼り、その後の自分の健康を薬などに頼り続けるといったことは、それは果たして本当の意味での健康だと言うことができるのでしょうか?  

 

 

 国民の平均寿命の延び以上に、国の医療費の増加が留まるところを知らないという現実がある中で、子々孫々へと繋げるべき本当の健康、つまり心の健康、肉体の健康、そして社会の健康を創り上げるためには、まずは私達一人ひとりが食生活を見直して生きていくことが大事なのではないか? 

 

 

 食べ方、食生活の改善をもって病気を予防していくことこそが、この社会において私達一人ひとりが与えられた生を幸せに生きるために、今に必要とされていることなのではないかと私は考えてしまうのです。

 

 

 

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玄米屋便り第14号.JPG

 

 

最近の政治的話題の一つ「TPP問題」

 

 

この「TPP」とは日本語では「環太平洋経済連携協定」となりますが、この協定を簡単に説明すれば、太平洋周辺の広い地域の国、中国、東南アジア諸国、オセアニア諸国、アメリカなどによる関税を撤廃した自由貿易圏を作ろうということです。

 

 

関税を撤廃し、自由な貿易を行うことができるようになることで、主に製造業などで国際競争力の強い日本が得られるであろう経済的利益が今よりも多く見込まれることが、TPP参加への検討を始めた要因の一つとなっているようです。 

 

 

その他、国際社会の中での孤立化を避けることや、国際社会の中での優位性を確保することなども大きな目的でありましょう。 

 

 

ただ、このTPP問題は経済だけで考えれば、皆が諸手を挙げて賛成できるであろう話なのですが、この問題は経済とは違った側面において大きな問題を孕んでいるのです。 

 

 

 

その違った側面の一つに「伝統や文化」があります。 

 

 

 

国内農業を考察しますと、国土面積や労働費用などといった面で大きな優位性を持つ諸外国に、日本の農業者達が経済の土俵で勝ち抜いていくことが相当困難であることは想像に難くありません。 

 

 

農業で経済が成り立たなければ、当然多くの人達が農業に見切りをつけることとなるでしょう。 

 

 

結果これまでの日本の農業文化、特に米作といった日本の伝統的農業文化は否が応でも衰退していくことが考えられるというわけです。  

 

 

 

経済成長や経済効率を重視する人達は、農業も伝統にとらわれずに効率性や自分の進化を追求していくことが大事だと主張しています。 

 

 

ですが、現状の維持を重視する人達は頑なにTPP参加を拒否し続けているのが現状です。

 

 

 

こうした状況を踏まえて、私達はいかなる判断と行動をとるべきなのでしょうか? 

 

 

私達が自分達の経済、つまり自分達のお金の確保ばかりに主眼を置いているようでは、伝統や文化の衰退により生じる重大な問題にいつまでたっても気付くことはありません。  

 

 

自分達の経済的利益ばかりをを追求するということは、先の農業の例のように「既存の文化や伝統」をないがしろにすることにつながるわけですが、それは自分達が今住んでいる環境をもないがしろにすることと同義であることを私達は認識する必要があるのです。 

 

 

私達は自分達の経済的な利益ばかりを追い求める行為が既存の環境を破壊し、自分達が求めた経済的利益に相当する環境の変化をも生み出しているということを覚悟しなければなりません。 

 

 

TPPにおいて、私達が今問われていることは経済成長ばかりではないのです。 

 

 

 

私達はTPP参加の是非を問うばかりではなく、この問題をきっかけに経済成長と環境維持のバランスについての重要性を認識し、自らの行動を一つ一つ見直していくことこそが何よりも大事なことなのではないかと私には思えてなりません。

 

 

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 玄米屋便り第13号「栄養から営養へ」 

 

私達が生涯にわたり食や人生を楽しみたいと願うのであれば、「えいよう」を考えることは極めて重要なことです。

 

 

それは誰もが認識しているであろう、当たり前の様なことではあるでしょう。

 

 

ただ、今なぜ「えいよう」と平仮名で表記したのか? 

 

 

その理由をこれから説明していきたいと思います。

 

 

 

「栄養」とは、人が健全な生命活動を営むために必要な物質を指すわけですが、ところでこの「栄養」という言葉、一体いつ頃から使われ始めたのか、皆さんはご存知でしょうか?

 

 

栄養という言葉の歴史は実はとても浅く、わずか100年ほど前、1918年頃に当時の栄養学者である佐伯矩(さいきただす)氏の提言により、その言葉が一般に使われるようになったそうです。

 

 

それ以前は「営養」「滋養」という表記が主に使用されていたそうですが、当時の日本国の富国強兵論による発展の助長を促したいという意識もあり、「栄える」という意味の漢字をあてはめることが推奨されたというわけです。

 

 

「栄える」という言葉には健康を増進する意味合いがあるということで、営養から栄養への表記が一般化されるようになったそうですが、100年前ならいざ知らず、今の社会の中でこれ以上栄えることが、本当の意味で人の健康を増進することに繋がるとは私にはとても考えられません。

 

 

 

これまでたくさんの人達が、やみくもなまでに自分達の栄華を求め続けてきたことで、今の社会環境は物質的にはまさしく非常なまでに栄えることに成功しました。

 

 

しかし、その過ぎた栄華が今、あちこちで歪みをきたし続けています。

 

 

 

その歪みは人の健康のみならず、社会環境や人が生み出す現象など、様々なところでみられ続けているのです。 

 

 

 

にも関わらず、私達が未だに栄えることばかりを求め続けるようであれば、それ相応の様々な厳しい変化が待ち受けることとなるのは否定できません。

(私達にとってどのような変化が待ち受けることとなるのか、それはまた別の機会にでも書きたいと思います)

 

 

 

物質的に満たされた現代社会に生きる私達にとって、本当に必要なこととは今以上に栄え続けることなのでしょうか?

 

 

私はそうは思いません。

 

 

今の私達に本当に必要なことは「営み続けること」です。

 

 

自分のキリの無い欲望に流されて生きるのではなく、その時々に得ることの出来る「人としての幸せ」を噛み締めながら、人としての人生を営んでいく。

 

 

 

そのための智恵こそが、今に本当に求められていることなのではないかと考えています。

 

 

 

現代の私達に必要なものは「栄養」ではなく「営養」、つまり人生を営み続けるための養分であり、より良く人生を営み続けるための「智恵という名の肥やし」なのではないかと思えてなりません。

 

 

言葉の力、言霊というものには不思議な力があるものです。

 

 

やみくもに栄養を求めるのではなく、自らの人生をしっかりと営むための指針とすべく今こそ「栄養」から「営養」への表記に戻すべき時がきたのではないかと私は考えています。

 

 

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玄米屋たいぞう便り12

 

今回の玄米屋便りでは前回に引き続き「食育問題」を取り上げ、その大きな問題の一つである「孤食」について書きたいと思います。

 

 

 

「孤食」とは文字通り「孤独な食事」を指し、もうずいぶんと前からその食のあり方が問題視されていますが、にも関わらず現代社会の孤食化の傾向には歯止めが効かないのが実際のところです。 

 

 

2005年には40%以上の小学生が子供だけで朝食を摂っているというデータがでており、また最近の調査では15歳から29歳の社会人の56%が朝食を一人で摂っているという調査結果も報告されています。(クロスマーケティング社調べ)

 

 

孤食を問題視する背景には、子供の精神的な発達の阻害を危惧する声が最も多く、他には食事が味気なく感じるといったことや、寂しい孤独感から生じる様々な依存症などが挙げられています。

 

その他にも偏食による栄養の偏りや、不規則な食事による健康の喪失などが重要視すべきことでしょう。

 

 

一体なぜ現代社会では孤食化の傾向が進んでしまうのでしょうか?

 

 

その原因として前回や第7号の玄米屋便りなどに書いたように、社会が「ラク」「快楽」ばかりを求めることを正義化しているというところにあると私は睨んでいます。

 

 

前回の玄米屋便りにも書きましたが、人にとって「自由」というものは「ラク」そのものです。

 

自由気ままに食事を得ることはまさしく快楽でありましょう。

 

 

逆に自由を目の前にして、他者から束縛されること、規律を求められることは大いなる苦痛を感じるものです。

 

規律や秩序を保つという行為は人にとって「苦」そのものなのです。

 

 

ですから、多くの人達が苦を避けラクを求め続けるようであれば、そうした背中を見て育った子供は同様によりいっそうのラクを求め続けるようになり、結果ますますの孤食化が推進されていくというわけなのです。

 

 

また、もう一つの根本的な問題として「コミュニケーション不足により諸々の弊害が生じている」という事実が挙げられますが、しかしなぜ現代社会の私達にはコミュニケーションが不足するような事態が起きてしまうのでしょうか? 

 

 

「家族との食事の時間を出来るだけ作りましょう」とか「食事を楽しみましょう」などといった具体的なコミュニケーション行動を推進させようとする意見は数多くあるようですが、これも本質的なところを見据えることなく表面的なところを取り繕うばかりでは、真の問題解決には決して至らないでしょう。

 

 

コミュニケーション不足といった問題の本質にも、やはりラクを求めてしまっている人の心の存在があるのです。

 

忙しいことが理由で出来合いの弁当や外食など、自分にとっても子供にとってもラクな食事を用意してしまう。

子や他人と食事を共にすれば、ただでさえ忙しい自分の時間が無くなってしまうため、一人での食事を選んでしまう。

 

 

孤食の問題には社会構造が強く影響しており、実際に多くの人達が忙しさに追われているという現実がありますので、その解決は言葉でいうほど簡単なことではありません。

 

ですが、何よりもラクを求めてしまう自分の弱き心の改善にこそ、あらゆる問題解決の糸口があるという事実を自覚することこそが、皆に共通する初めの一歩なのではないかと私は思うのです。

 

 

孤食問題は本当に奥が深く、この場で語りつくせるほど簡単な問題ではありませんが、苦を共に楽しむこと、つまり秩序や規律を保つ行為を他の人達と楽しむ心を育むことこそが、今の老若男女すべての人に求められているのではないでしょうか。

 

 

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玄米屋たいぞう便り11

 

飽食と呼ばれる、今の日本の世の中において、自分の好みのままに自由な食事を続ければ、どうしても怠惰の方向に偏ってしまうものです。

 

 

特にそれぞれの人達の我欲」を煽り続ける現代社会が、そうした傾向に拍車をかけ続けています。

 

 

現代社会における日本の多くの若者達の食の規律が、すでに崩壊寸前だと言われるようになって久しいのが現実の出来事です。

 

 

若いうちは何事も自由を求めてしまう傾向がどうしても強く、自身の若かりし頃に一人暮らしの経験がある人は、自らの食事を振り返るときっと思い当たるフシがあるのではないでしょうか?

 

 

人の意識というものは自由を求める存在であり、その意識の欲望のままに、ワガママに食事を求め続ければ、どうしてもラクな方向に流されていくのが真実の話です。

 

 

そうした中で、自らの食事を律してくれるような人がそばにいる人は、自分の自由は束縛されますが、しかし長い目でみれば私はそういった人は幸せ者だと考えています。

 

 

言葉遊びをするならば、「仕合わせ者」とでもいったところでしょうか。

 

 

自分の好みに合わせて、自分を悦ばせてくれるような豪華な料理を、これでもかと用意し続けてくれるような人が、自分のそばに居てくれることは、それももちろん幸せなことではあるでしょう。

 

 

しかし、自分の好みに関係なく、本当の健康を考えた料理を必要な分だけ用意してくれるような人が自分のそばに居てくれることは、本当に幸せなことだと私は思うのです。

 

 

玄米屋たいぞうはそうした人のようなサービスを提供していく店でありたいと考えています。

 

 

 

厳しい人がそばに居るとき、そのときは自らの至らなさから嫌な思いをするものですが、後になってみれば、本当にその人の存在が有り難く思えるようになるものです。

 

 

「食」というものは、より良い「人の身体」と「人の心」を創り上げるために非常に大事で大切な存在なのです。  

 

 

「人の身体」には「生・幼・若・青・壮・老・死」という、時間を伴った縛りと、「病」などといった束縛が皆に平等に存在しています。

 

 

それらの肉体の縛りから逃れるのではなく、人として上手に付き合っていくためには、自らの食を考えることが何よりも大事なことなのです。

 

 

また、人という存在は自らの子を産み、その子が大人となり、また子を産みつなげていく、というカタチでずっとこれまで人の世をつなげてきており、これからもそう在り続けることでしょう。

 

 

しかしながら、人の心が「今の自分のラク」ばかりを求め、我がままにラクな食事を求め続けるような幼稚な存在のままでいるようでは、色々な意味で人は人の世をつないでいく事がやがて困難になってしまいます。

 

 

そしてそれは食だけでなく、様々なことに通ずる真実の話だと、私は考えています。

 

 

「食育」を重んじる玄米屋たいぞうは、「自分の瞬間の快楽」ばかりを満たすような食ばかりを良しとするような現代社会の風潮を、ただ黙って眺めていることは出来ないのです。

 

 

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玄米屋たいぞう便り  

 

 玄米屋たいぞうは何のお店?と聞かれたときに、私はいわゆる健康食品のお店とは思われたくはありません。

 


 どういうことか?

 

 

 私の目指すところに、人の長期的な視野での生活の質の向上を考える、コンサルタント的な目的があります。

 

 玄米という商品は、コンサルの手段のひとつとして取り入れています。

 

 

 今、市場に出回っている健康食品とは、すべからく個人の欲望を叶えるための商品であるといえるでしょう。

 

 

 しかし、その欲望が未来を見据えたものであるものとは私には決して思えないのです。

 

 

 それらは、そのとき瞬間の欲望であったり、せいぜいが自分の一生の時間を満足させるためだけの欲望である場合が多いように思えます。

 

 

 そのような個人の欲望ばかりを叶える商品が、より良い未来をつないでいくための商品になるとは私にはとても考えられません。

 

 

 ですから、玄米屋たいぞうは単純な個人の欲望だけを叶える手伝いではなく、「より良い未来を子供たちのためにつなぎたい」という欲望をかなえる、お手伝いをする店でありたいと思っているのです。
 

 

 

 今の世の中は、より多くの商品を売るがために、また広告などがより多くの人の目を惹くようにするために、様々な情報が溢れかえっている状況であります。

 

 

 そしてそのような状況の中で、個人の欲望をより叶えることのできる商品がもっとも信頼され、ますますと安価になり、市場を席巻していきます。

 

 

 

 例として、携帯電話やコンビニ、外食チェーンの台頭などが挙げられますが、このことは自由市場原理、資本主義のルールに法っている以上は、決して覆ることのない現象であるといえるでしょう。

 

 

 

 もちろん、世の中の人達がより便利な生活を享受できる様になる上で、そのルールを覆す必要などはないと思いますが、「食」の分野でこれ以上、自由市場原理のまま、個人の単純な欲望のままに突き進むのは、非常に危惧することと私は考えています。

 

 

 

 私がまだ小さな子供であった約三十年前には、今ほどに高カロリーで栄養豊富な食料が、いつでも手に入るような環境ではありませんでした。

 

 

 しかし今では、簡単に豊富な栄養を摂取できる様々なサプリメントや、非常に味覚に刺激性の強い食物、高脂肪、高カロリー、例えば菓子パンなどの噛む必要のほとんどない柔らかい食べ物といったものが市場を席巻し、しかもそういった商品ほど安易に手に入れることが出来ます。

 

 

 あらゆる食料が「個人の瞬間の欲望をかなえる為のより良い商品」として変化し、市場を席巻しているのです。

 

 

 しかも、今日本はそういった商品が飽和している状況であるにも関わらず、まだその欲望をあおり続ける商品が増え続けることを、私達は憂わなければなりません。

 

 

 生まれたときから人間の欲望を必要以上に満たす食料に恵まれ、それらを摂取しながら生きる、今の子供達に近い将来起こりうることを、私達は憂わなければなりません。

 

 

 

 アレルギーやガンなどのあらゆる文明病は、人が満たされ続けたことにより起こる病気です。

 

 

 満たされ続けたことにより、人としての肉体の機能が脆弱化したことにより起こる病気なのです。

 

 

 最早、我々は満たされ続けることの危険性を認識しなければなりません。

 

 

 自然食品とはけっして美味しいもの、旨いものばかりではありません。

 

 

 苦かったり、酸っぱかったり、人の体にとって優しくない場合のほうが多いでしょう。

 

 

 しかし、本当の健康食品とは人間の体にやさしいものばかりではないのです。

 

 

 体にとって優しくないからこそ、体がそれを克服しようと能力を高めることにつながるのです。

 

 

 

第2号 「飽食と粗食」 に進む 

 

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 おふくろの味と聞くと、皆さんはどういった食べ物を連想されますか?
 

 

 

 肉じゃが?カレー?それとも煮物などでしょうか?
 

 

 

 当たり前のことですが、人それぞれに様々な食べ物を思い浮かべることでしょう。
 

 

 

 「おふくろの味」とはまさしく人それぞれ、千差万別の味の記憶なのです。
 

 

 

 

 多くの場合、人は幼少期の頃より母親などから与えられた食事の味を「おふくろの味」として記憶に刻み込みます。
 

 

 人はそれらの様々な味の記憶があるからこそ、成長後も自分にとってふさわしい食べ物を選ぶことができるようになるのです。

 

 

 しかし、幼少期の頃から成人するまでにインスタント食品やお菓子などばかりを与え続けて育てるようであれば、それらの味がその子にとっての「おふくろの味」となってしまいます。
 

 

 

 そうやって育てられた子は、その食品の過剰な刺激の味ばかりを強く記憶に残してしまい、自分にとってふさわしい食事として、同じような強い刺激を与えてくれる食品ばかりを求めるようになってしまうのです。

 

 

 現代社会において、市場に出回っている食品の多くは、企業の利益追求のために作られた商品であり、そうした商品は『人のより良い成長を重んじた食品』というよりも、人に強い快楽を与えるだけの食品である場合が多いため、それゆえに人は必要以上に食べ過ぎたり、快楽を感じない食品を敬遠する様になってしまうのではないでしょうか。
 

 

 

 ですが、人の成長や健康な肉体づくりにとって大切な栄養(様々なミネラルや有用微生物群など)を含む食品には必ず苦味や酸味などの雑味があるものなのです。

 

 

 そうした苦味や酸味を含む食品を、「美味しくない」などと言って敬遠してしまうようになってしまえば、人としての健全な肉体の構成や成長、維持を損ない、いずれ間違いなく人の体にとって深刻な問題を抱えることになるでしょう。
 

 

 

 しかし、幼少の頃からきちんとした食事を与えて育てることで、成長した子供はその味の記憶をたよりに、自分に必要な食品を選ぶことができるようになるのです。
 

 

 

 きちんとした食事とは、「人の肉体を構成するために必要な栄養をバランスよく含む食事」であったり、「適正な量の食事で済むように過剰な味付けのない食事」であったり、「体に適度な負荷をかけ人の良い成長を促すことのできる食事」などが挙られます。
 

 

 

 そういった食品を周りの情報に踊らされることなく、選択する能力を身に付けることができるようになるために、私達はいったいどうすればいいのでしょうか?

 

 

 やはりそのためには物質的なところを考えるばかりではなく、何よりもまず食事に対しての感謝のこころを育み、私達の先祖がこれまで営んでき食のあり方を省みることが大事でしょう。
 

 

 

 親が先祖や食事に感謝しながらいただく、そうした背中を見せていくことも大事な「おふくろの味」なのです。
 

 

 

 私の親や祖父母達はそうした心と共に、様々な食の体験を私に与えてくれました。
 

 

 両親や祖父母、そして命をつないでくれた御先祖達には心から感謝しております。


 

 

たいぞう便り第10号

 

 

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