私の父親は大野市の生まれで8人兄弟の末っ子でした。
田舎育ちですので、よく近所の山や川で遊んでいたそうです。
兄弟達とは歳が離れていたので一人遊びが多かったらしいですが、一人遊びといっても雄大な自然という遊び相手があったようです。
私も子供のころ、父親にいろいろと自然との遊び方を教えてもらったものです。
残念ながら、あの時教えてもらった遊び方はほとんど覚えていないのですが、それでも山や川や海や原っぱで遊んでもらったことは今でもハッキリと記憶に残っている、私の財産です。
私の父親の父親、つまりお祖父さんも山師であり、何度か一緒に仕事場に連れて行ってもらった記憶があります。
お祖父さんが仕事を終えるのを待つ間、渓流のよどみで泳いで遊んだり、泳いでいる魚と戯れたりして遊んでいたものです。
「たいぞうの想い36」でも書きましたが、日本人という民族は何千年もの昔から小さな島国で暮らしてきたため、西欧諸国や欧米、大陸の人々と違い、その小さな島の中であらゆるものと共に生きていくという素晴らしい感性、観念を培ってきたようです。
比べて西欧諸国や大陸に住む人々は、他民族が多数存在する広大な土地があったため、自然と共に生きるという考えではなく ”いかに土地を(自然を)征服していくか”という考えである場合がほとんどだそうです。
つまり、我々日本人が脈々と受け継いできた精神は、欧米の人たちとは一線を画す精神性だといえるでしょう。
第2次世界大戦の敗戦以降、当時の日本人が西欧、大陸流の精神文化をおそらくはしっかりと認識せずに取り込んだばかりに、現在の日本の人々の精神性はどこか頼りないものになってしまったように感じます。
日本の精神性と西欧などの精神性は全く相反するものであるため、それを認識せずにいるとアイデンティティーの崩壊を招き、どっちつかずのあやふやな精神が育まれてしまうのではないかと私は考えています。
現代の日本人に「日本人に生まれてきて良かったと思えるかどうか?」というアンケートをとると、良かったと答える人の割合は非常に少ないそうです。
対して、欧米や大陸に住む人々に同じようなアンケートをとると、日本人と反対で良いと答える人の割合は多いそうです。
・・・この背景には現代に生きる我々日本人のアイデンティティーが確立されていないという現実があると言えるのではないでしょうか。
しかし、嘆くことはありません。
私達の祖先はずっと昔から日本の文化として誇ることのできる”自然哲学”を継承してきたのです。
はるか昔から八百万(やおよろず)の神々と呼ぶ全ての自然を神と捉える思想を、自然に神聖さを感じることのできる豊かな精神を、自然との共生という独自の哲学、美意識を脈々と受け継いできたのです。
ただ、今はまだそのことに気付いていないだけなのです。
本当は皆にしっかりとその精神が受け継がれています。
私は自然と接するとき、不思議と癒され、なんとも言い難い慈しみの情愛が生まれます。
これは私の親が自然を愛する人であり、祖父母達が自然を慈しむ人たちであり、祖先たちが自然と共にずっと生きてきたからに違いないでしょう。
私はその祖先たちを誇りに思い、そして未来の子供達にそのことをしっかりと伝えて生きたいと思います。












